台北へ行って、街を歩いていると、あらゆる地方料理の看板に出くわす。北京、江浙、広東、四川は中国の四大料理であるが、このほかに台湾はもとよりのこと、湖南、山西、河北、雲南、清真(回教徒の料理)、客家といった地方料理がある。さらにもっと細分すると、潮州、徐州、福州、天津、杭州、桂林など、都市の名前のついた料理店も見られる。こうした料理がなぜ台北市の路地裏に軒を並べているかというと、亡命者が大陸の全地域から流れ込んでいるということもあるが、金持ちのお抱えコックがお払い箱になって、はじめは露店に毛の生えたような見すぼらしい店からスタートし、やがて評判をとってちゃんとした店を構えるようになったからである。台湾へ移ってから三十何年もたつと、新聞は毎日のように老将軍たちの死を報ずるようになったし、老残の身を生き長らえたとしても、世代も変わり、財力も失って、もはやコックを抱えた生活は昔語りになる。世の中が変わると、昔のコックの方が出世して、どちらが主人かわからないような階層の交代も起こっているのである。
私が台北へ帰って面白いと思ったのは、役所に行っても、昼寝の部屋があることと、コックがいることであった。役所に長官を訪ねて、「お休みになりませんか?」と寝室に案内されたこともあったが、応接室に円卓を持ち込んで、たちまち宴会場に早変わりしたことも何回かあった。澎湖島の要塞司令官に招待されたときなどは、司令部にお抱えコックがいて、ちゃんとした料理を出してくれたのにはびっくりした。もっともこの頃はコックを抱えるよりも有名店からの出張料理が多くなったが、今でも役所の中に宴会場の設備があることに変わりはない。ついでに台北市にある有名店の名をあげておくと、北京料理は「天厨菜館」、江浙料理は「叙香園」「随園」、広東料理は「皇上皇」「馬来亜餐庁」「紅宝石」、湖南料理は「金玉満堂楼」か「湘園」、台湾料理には「青葉」とか「梅子」といったところがある。また台南市に行くと、「阿霞飯店」「度小月」、高雄市に行くと「蟳之屋」(かにの家)というのが私のひいきの店である。
ほかに海鮮料理といって、水槽の中に生きた魚や海老を泳がしてあって、注文をするとその場でアミですくって料理をしてくれる店もたくさんできたが、料理のテクニックそのものはいい加減なところが多い。そうしたなかで大衆的だが、いつも満員なのが「海覇王」であるが、料理の腕前からいったら、広東式の海鮮料理を食べさせる「海鮮楼」が群を抜いているのではあるまいか。
しかし、中華料理は、料理屋の料理もよいが、コックを抱えた金持ちの家の家庭料理の方が一枚うわ手であろう。台湾もご多分にもれず、金持ちの階層が激しく入れかわっているから、新入りの成金ではコックを抱えきれない。その点、大陸から移ってきて、いまなお勢力を失わないでいる旧政客の中にはいまでもコックを抱えている人がたくさんある。数年前、他界してしまったが、元駐米、駐日大使で台湾省主席をつとめたこともある魏道明氏の家でご馳走になった料理は素晴らしいものであった。そのコックは魏さんの奥さんがアメリカヘ行ってしまったので、いまはある銀行の董事長(社長)さんの家で働いている。

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