Qさんの本を読むのが何よりスキ
という戸田敦也さんがQライブラリーのガイド役をつとめます

第52回
日本人に向かって「台湾人を忘れるな」を書きました

邱さんが中央公論社に自分を売り込みに行き
嶋中鵬二さんと面談したときの続きです。

「一回が十五枚くらいのエッセイで、二十回書いて
一冊の本にしたいのだと私はつけ加えた。
『わかりました。連載だと部内の調整をしなければなりませんので、
三日ほど待ってくれませんか』
内心、なんと厚かましいやつだと思ったのではないかと思うが、
嶋中さんは、表情には現さず、ニコニコしながら私を送り出した。
しかし、翌々日には、私のところへ電話をくれて、
連載は次号からやりましょう、といってくれた。
私は『花は桜木』という一回分の原稿を書いて、
中央公論社へ届けた。」
(『邱飯店のメニュー』)

わざわざ出かけて売り込んだ効果が早速にあらわれました。
ところで「サムライ日本」の一回分の「花は桜木」の原稿が
『中央公論』に載らないうちに、嶋中社長から別の依頼が来ました。
台湾で国民党の軍隊がアメリカ大使館を襲うという
レイノルズ事件が起こったのです。
「新聞の報道だけでは、何のことだか、
日本人にはさっぱりわからない。
それというのも、戦後の台湾には蒋介石に従って
大陸から渡ってきた約二百万人の外省人と呼ばれる人たちと、
以前から台湾に在住する約八百万人の本島人がいて、
両者の間に確執があり、その間の事情が
少しも説明されていなかったから」(『邱飯店のメニュー』)です。

嶋中さんから、レイノルズ事件をめぐる台湾の情勢について
論文を書いてくれないかと頼まれ、邱さんは日本人に対して
台湾人が置かれた状態を伝える
願ったもない機会だと考えたのではないでしょうか、
即刻承知し2晩がかりで論文を書きました。

これが『中央公論』昭和32年7月号の巻頭に
『台湾人を忘れるな』というタイトルで掲載されました。


←前回記事へ

2002年10月18日(金)

次回記事へ→
過去記事へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ