Qさんの本を読むのが何よりスキ
という戸田敦也さんがQライブラリーのガイド役をつとめます

第54回
大宅壮一さんが「評論のタネは尽きない」と断言しました

大宅壮一さんは毒舌家として活躍したジャーナリスト」です。
いま道路関係4公団民営化推進委員会の委員として活躍されている
大宅映子さんのお父さんです。
この大宅壮一さんが『日本天国論』が出てすぐに新聞で
この本を褒めましたのでさすがの邱さんもアッケにとられました。
「大宅壮一さんといえば、人をこきおろしたり、
ひやかしたりするのがご商売、
大臣でも大学の総長でもあの人にかかったら災難で、
交通事故にでもあったような気持ちになるものだとばかり
私は思っていた。
その大宅さんに褒められたのだから、うれしいというよりも、
へーえとあきれたものである。」(『私の金儲け自伝』)

そして邱さんは大宅さんが『中央公論』誌で行っていた対談に
ゲストとして招かれました。
席上、邱さんがお礼を言うと大宅さんは
「僕は人の悪口を言うのが専門だから、たまに褒めたりすると
笑われるが、
邱さんは独自の切り口を持っているから、
激しい日本のジャーナリストの競争を生き抜いていけますよ。
絶対にメシの食いっぱぐれはない。ぼくが保証しますよ」と
発言しました。
「大宅壮一さんは駅弁大学だとか一億総白痴化だとか、
次々と流行語をつくり出した人だが、
何ごとも男女関係やセックスにおきかえて話を進める人で
露骨なY談をする。
そのときも、私に、
『どうです、もう小説は卒業しましたか。
小説なんてのは女のメンスみたいなもので、
四十歳になればあがるものだ。
いつまでたってもまだ小説を書いているのは、
精神的にどうかしているよ』
私が苦笑をして、
『でも、谷崎潤一郎のように爺さんになってもエロづくめの小説を
書いている人もありますね』
と言ったら、
『そりゃ、女だって宇野千代のように六十歳になっても
まだメンスのあがらない女もあるからな』といった調子である。」
大宅さんから評論家としての素質を認められましたが、
評論はタネが尽きるんじゃないかと聞き返しました。
すると大宅さんは即座に
「いや、タネは尽きない。尽きそうになると世の中がまた変って、
新しいタネが生まれてきますよ」と
言いました。
『しかし、日本では評論のほうが原稿料が安くて、
小説のほうが高いようですね。評論家は収入が少なくて
割にあわないんじゃないですか』
『それだよ。評論は会話もないし、改行も少ない。
小説のように"…"とか"あら"とか"いや"とか、
二字三字で二十字一行分稼ぐわけにもいかない。
だから僕なんか書きまちがえても絶対に書きなおしをしないで、
まちがえたと思ったら、そのあとに"という説もあるけれども
私はこう思う"とつぎ足ししてしまいますよ。
安い原稿料でいちいち書きなおしていたら損だから、
僕は書きなおすくらいなら節を曲げるよ』
これは、もちろん、大宅さん一流のパラドックスだが、
評論という形式で日本の社会現象や思想風俗に近づくのも
一つの方法だなあと思う」(「私の金儲け自伝」)
ようになりました。

ここに披瀝された「評論のタネは尽きない」という大宅さんの言葉、
その後の邱さんの活動を予言しているように思われてなりません。


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2002年10月20日(日)

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