Qさんの本を読むのが何よりスキ
という戸田敦也さんがQライブラリーのガイド役をつとめます

第97回
邱夫人が料理の達人になる過程を描いた
『奥様はお料理がお好き』

『奥様はお料理がお好き』は『クック』という
料理カードの雑誌に昭和34年から38年まで
足かけ5年にわたって連載された作品です。

邱さんは亡命先の香港で俄かに金持ちになり、
周りの人の扱いが変わってきます。
昭和26年の3月、邱さんが27歳のとき、
居候をしていた廖文毅邸の老女が
廖邸の隣家で、香港では有名な薬屋である潘家の三女、
苑蘭さんとの見合い話を持ってきたのです。

邱さんは近所に住む趙夫人に同行してもらって、
潘家を訪問し、お見合いをしました。
その2、3日後に潘家一家のピクニックに誘われ、
ポータブルの蓄音機を鳴らしながら
ダンスする光景に見とれました。
見合いをしてから3週間あまりの4月1日、
つまりエープリル・フールの日に婚約、
5月10日 、香港島の駐冊署(戸籍を扱う役所)で結婚式をあげ、
九龍側の広州大酒家の3階を借り切って披露宴を開くという
超スピード結婚を演じています。

この結婚には披露宴のあと、風俗習慣の違いから
新婦側の親族と喧嘩し、新婦を連れ去られ、
翌日、 女中さんのとりなしで、新婦を連れ戻し、
ようやく新婚生活を始めるというハプニングもついていますが、
邱さんが困ったのは
新婦は料理をしたことがないということでした。

「結婚した当初、女房は全然、料理ができず、
飯の炊き方も知らなかった。
女房の家には炊事の係りも含めて女中さんが6人いたが、
食事の間中も女中がうしろに立って団扇で風を送ってくれたり、
ご飯のおかわりをしてくれた。(略)
しかし、そういう環境に育ってもお嫁に来ると
そうは行かなくなる。
結婚直後、私たちは女中さんを二人やとっていたが、
女中さんの料理では変化に乏しいので、
『新しい料理を考えて』と注文を出した。(略)
大した経験はしていなくても、
食べる方はふだん舌でしっかり覚え込んでいるから、
いざ自分でつくってみると、たちまちその水準まで
こぎつけることができるのである。
殊に東京に移り住んでから以後は、
文字通りのお手伝いしかいなくなってしまったので、
いやでも腕を上げるよりほかなくなった」
(「料理は舌で覚えるもの」『食べて儲けて考えて』所収)

こうして池島信平が邱さんの顔を見るたびに『邱飯店に行こう』と
いうようになるまで邱夫人は見事に料理の腕をあげます。
このようにご飯の炊き方もご存知でなかった邱夫人が
料理の名手として、
賞賛されるようになるまでの過程を書いたのが
『奥様はお料理がお好き』です。

ということで、この本は「料理は苦手」と思っている
お嬢さん向きかと思いますが、
著者は「お料理のきらいな女を嫁にもらうな」という意味で
独身男性向きだと書いています。


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2002年12月2日(月)

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