Qさんの本を読むのが何よりスキ
という戸田敦也さんがQライブラリーのガイド役をつとめます

第104回
「何をたよりに生きようか」で不況への対処法を探究

邱さんは昭和41年に『ゼイキン報告』に続いて、
日本経済新聞社から『何をたよりに生きようか』という本を
出版しました。
この本は「何をたよりに生きようか・・・・・・というと、
男に捨てられたバーのホステスの心境みたいで、
さしずめ歌謡曲のセリフにでもなりそうな文句である」
という文章ではじまります。
出版当初、日本経済新聞社の担当者たちは
「こんな本売れるでしょうか」と首をかしげたようですが、
頼りなげな風情のこの本は、
出版後10年間も売れ続けたそうですよ。

『いどばた論語』が「高度成長が日本の社会にもたらした変化に
取り扱ったものである」(本書あとがき)のに対し、
『何をたよりに生きようか』は
「そのあとに続く重苦しい環境のなかで、
それをどう受けとり、
それにどう対処していくか」(同上)をとりあつかっています。

この本で邱さんは小説家の梅崎春生さんが
昭和30年代のはじめ頃、「快適なる200万円」
という言葉を使っていたことに言及しています。
その時代のことですから「快適なる200万円」といっている
「200万円」は「年間所得が200万円」という意味です。
邱さんは、梅崎さんが
「収入による幸福の限界効用が最大になる点」を
追究した点を評価し、その後の物価変動を考慮すると
「快適なる月収は30万円」になっているのではないかと
指摘しています。

「ゼイタクをいえばきりがないが、
今の日本の一般の生活水準や物価の状態から考えて、
月に30万円の金があれば、
まず人間の欲望の大部分は充足できてしまう。
トヨペットやプリンスに乗る代わりに、
ベンツに乗るのは人間の虚栄心を
満足させることはできるけれども、
車を持たない者がやっと国産の自動車を得たときの喜びや
値打ちに比べれば物の数にはいらない。
こういう具合に、お金はふえていけばいくほど
利殖の力としては大きくなっていくが、
それを持っている人にとっては逆に値打ちがなくなってくる。
わかりやすくいえば、3万円のサラリーマンのサラリーが
1万円ふえるのとでは、同じ1万円なのに金の値打ちが違う。
だから、収入が多くなればなるほど、
その人にとってはお金は役に立たなくなる」と
邱さんは書いています。

ついでにいえば、それから18年の歳月がたった昭和59年に
邱さんは『賢者は中金持ちをめざす』を執筆し、
その間の物価変動を勘案快適なる月収ラインを
「100万円、但し使えるお金で100万円」としています。
「月に100万円使える立場の人と、
月に200万円使える立場の人の生活の内容は
ほとんど変わらない」(『賢者は中金持ちをめざす』)
という意味なんですね。


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2002年12月9日(月)

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