Qさんの本を読むのが何よりスキ
という戸田敦也さんがQライブラリーのガイド役をつとめます

第114回
年をとるのが嫌だった三島由紀夫さん

三島由紀夫さんの自決に対する邱さんの感想の続きです。
「『三島さんはよほど年をとるのがイヤだったんだな』と
私は直感した。
三島さんは中央公論社社長の嶋中鵬二さんと
とくに親しかった。
その当時、嶋中さんはノイローゼ気味だったが、
三島さんの自決をきいて途端にノイローゼが
一ぺんにふきとんでしまった。
『三島さんはうちの主人に、
困ったときには僕が助けてあげるよと
口癖に言っていましたが、
本当にこういうのをショック療法というのでしょうね。

それにしても三島さんくらい
容貌のことを気にする人はありませんでしたね。
あなた、このへんがたるんできましたねと言ったりすると、
奥さん、いやなことは言わんで下さい、
と本当にいやな顔をなさいましたものねえ』と
嶋中夫人が述懐していたが、私もその説には賛成だった。

年をとりたくない人は若死にする以外に方法はない。
若くして死ねば、若い時のイメージしか残らないから、
写真を見ても、友人たちの記憶の中にも、
永遠の青年としての面影をとどめる。
そういった意味では、三島さんのような人は自決する以外に
『永遠の青春』を保つ方法はなかったのではあるまいか。

44歳という年齢は『晩すぎた春』であるが、
晩いなりに『青春の最終列車に乗って、
星の世界に行ってしまった』と
私には思えてならないのである。」
(『貧しからず富に溺れず』)

三島さんは最後のご挨拶に邱家を訪れましたが
邱さんのお子さんたちに“礼儀正しい人”という
印象を強く与えたという文章もあります。
「子供たちが帰ってきて、玄関を入る度に、
三島さんはいちいち椅子から立ちあがって
『お邪魔しています』と挨拶した。
うちの子供たちはすっかり驚いて
『あの人、本当に礼儀正しい方ですね』と
のちのちまで話題にした。」
(『子育てはお金の教育から』)

以上Qさんライブラリの番外として、
三島由紀夫さんと邱さんの交流の一端を
伝える文章を紹介しました。


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2002年12月19日(木)

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