Qさんの本を読むのが何よりスキ
という戸田敦也さんがQライブラリーのガイド役をつとめます

第176回
『香港の挑戦』はジャーナリズムに返り咲くための努力の結晶です

邱さんが『香港の挑戦』に収録された各作品を執筆したとき
その心の中には、本の「まえがき」で書いたような背景とは別に、
日本の選挙に出馬し、ジャーナリズムの世界から
締め出しを食らいそうになった状況を
一人のジャーナリストとしてなんとか打開しなければという
せっぱつまった思いが働いていました。
作品を書いてから14年の年月がたったとき
執筆をはじめた『鮮度のある人生』で
邱さんはこの頃の自分の心象風景について書いています。

「私のジャーナリズムにおける地位は
決して見劣りするものではなかったが、
選挙で失敗した直後は、ここでそのまま忘れ去られるか、
それともそこを跳躍台として一段と高くとぶかの
瀬戸際に立っていた。
私としてはここで再び机に向かい、
とにかく世間から注目を浴びる文章を書いて
天下にデモンストレーションする必要があった。

私は先ず『香港の挑戦』120枚を書きあげて
自分で中央公論社に持ち込んだ。
片倉工業の株を買い占めた香港の投資家王増祥が
日本株式会社の通せんぼにあって、
すべての日本の証券会社から締め出され
株を買い増すことさえ断られた。
30%の株を持つ大株主なのに株主総会で冷遇された、
その事実を資料に基づいて描写した。
日本株が国際化され、外人投資家がふえて行く過程で、
総会屋に守られて短時間ですむ株主総会ほどよいといった
商慣習で世界に通用するものか、
というのが私の提起した問題だった。

また『実録―海外投資』120枚を書きおろし、
これも中央公論社の経営問題特集号に持ち込んだ。
いま考えてみると、私が台湾に工業団地をつくったり、
日本企業の誘致をしたのは、
昨今、大流行になっている海外投資のハシリであり、
その苦労話は次々と海外へ進出する企業の参考になる性質である。
成功例より失敗談を体験に基づいて取り上げたから、
いま読んでも役に立つ内容のものであると自負している。

続いて『経済一等国日本』100枚を書いて
これはプレジデント社に持ち込んだ。
これは軍事力を背景としない一等国という
いままでにない実績を築き上げた日本はもしかしたら、
21世紀の国家像を先取りするものではないかという考え、
日本がアメリカの要求を安易に受け入れて
軍事大国へ逆戻りしないほうがいいという意見を
述べたものである。
以上の3篇はいずれも100枚をこえる中篇であり、
雑誌に一回掲載するにはやや長すぎたが、
かなり読みごたえのあるもので、
しかも雑誌記者のほうが依頼に行く立場にいる作者が
自分で書いて自分のほうから雑誌社まで持ち込んだから、
いずれも社長さんたちから鄭重に扱われ、すぐ雑誌に掲載された。

当時プレジデント社の社長をやっていた作家の諸井薫さんは
私の面子にこだわらないやり方をみて
『うむ、やっているな。このくらいやらないといかんだろうな』
と頷いたそうだが、私にしてみれば、
自分がジャーナリズムに返り咲くための当然の努力だった。
それがきっかけになって、私はピンチを逃れ、
再び言論界に戻ることができた。
42歳の厄年の時はある日、突然、厄明けが来て、
沈滞した気分は雲か霞のように消えてしまったが、
55歳の厄年の時は必死の努力が必要だった。
同じことがほかの人にも言えるかどうかは知らないが、
定年前の厄は選択を伴う転換期だから、
待てば海路の日和という具合には行かないような気もする。」
『鮮度のある人生』


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2003年2月19日(水)

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