パリだけがフランスではありません

第38回
ローマ法王死去前後のフランス

2005年4月2日の午後9時37分、
ついにローマ法王ヨハネ・パウロ2世が亡くなりました。

日本での扱いとは格段の差があり、
フランスではその数日前から、どこのテレビニュースも
その発表がいつになるかと待ち構えているようでした。
亡くなられた翌日の3日から数日間、
ニュースはパウロ2世一色。
バチカンの様子は当然、
世界中のカトリックの教会、信者が悲しむ姿を追っていました。
葬儀は朝から中継という騒ぎです。

昼に戻ってくるオリヴィエは13時のテレビニュースを良く見ます。
これらの日々は
「もういい加減にしてくれ」とうんざりしていました。
かくいう私も確かに「過剰」と感じるほど。
しかしなぜここまで…と
2人(私たちはカトリック教徒ではありません)で考え、
これ以上センセーショナルな話題がないからだろう、
という結論に達したのですが…

フランスは1905年に政教分離を法律で定めました。
それまではれっきとしたカトリック国家だったわけです。
今も国民の80%近い人が、
教会に行くかどうかは別としてカトリックだといわれています。

この宗教問題がにわかに論議を呼んだのは去年のこと。
公立学校内でイスラム教徒の女子生徒のスカーフ、
ユダヤ教徒の男子生徒の帽子などを法律で禁止したからです。
その当時の正論が、
フランス共和国はいずれの宗教の自由も認めるが、
いずれの宗教にも影響されることはない。
しかるに公の場では常にニュートラルであることが求められる、と。
シラク大統領も
国家の非宗教性をより強調した公式声明を出しました。

ところがこの法王逝去の扱いをめぐり、
にわかに国家の非宗教性に対する議論が沸沸となったのです。

亡くなった翌日、3日は国家機関、市庁舎、
警察署などに掲げられている国旗がすべて半旗になりました。
さらにパリのノートルダム寺院で行なわれた
パウロ2世のためのミサに
大統領夫妻が参列したことも注目されました。
といっても
ベルナデット夫人が敬虔なカトリック信者なのは周知のことで、
個人として参加したというのが公平な見方。
世界中の要人が集まったローマの葬儀出席が、
大統領としての公式なものと理解されています。

いずれにしてもこの国には
多数のイスラム教徒、ユダヤ教徒、その他の宗教を持つ人がいます。
宗教に関する事柄は非常にデリケートで、
常に国を揺るがす爆弾となる可能性を秘めているのです。


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2005年4月13日(水)

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