誰が日本をダメにした?
フリージャーナリストの嶋中労さんの「オトナとはかくあるべし論」

第11回
努力すれば報われる

「男女同権」とは
男の地位が女の地位まで上がったことなのです、
と太宰治が言ったとか。
太宰が生きた時代であれば皮肉に聞こえても、
今なら素直に頷けてしまう。

それはさておき、
私は男女は同権であるべきだと常々思っている。
だってそうだろう。
同じ質と量の仕事をこなし、能力的にも差がなければ、
賃金にしろ昇進にしろ、同等の権利を得ていなくてはおかしい。
少なくとも制度上はフェアであるべきだ。
こういうと、「管理職の△%は女性にします」
などと数値目標を掲げたりする
おっちょこちょいの役所や企業があるが、
そんなことを言っているのではない。
今さらいうまでもないが、
「結果の平等」ではなく「機会の平等」こそが大切なのである。

結果の平等がもたらす弊害を、私は身をもって体験している。
サラリーマン時代、劣悪な労働環境に異を唱え、
一年地下に潜った後、労働組合を立ち上げたのだ。
激しい闘争の結果、「同一年齢同一賃金」という金字塔?
を打ち立てた。
男女を問わず、また学歴や部署のいかんを問わず、
年齢が同じであれば給料もまた同じ。
もちろん能力査定などはまっ先に取っ払った。

人には能無能、賢愚深浅の差があり、
仕事のできる奴もできない奴もいる。
そんなことは百も承知のスケだが、
「人間は本来平等なもの。
 一方的な査定による賃金格差は断固粉砕する!」
などという威勢のいい意見が組合大会の大勢を占めると、
もう誰も抗えなくなる。
会社の業績が右肩上がりのうちはまだいい。
しかし業績悪化が目に見えてくると、
自然とほころびも出てくる。
「あいつは俺より無能なのに、なぜ給料が同じなんだ?」
「嘱託のオバさんも正社員並みじゃあな。やってられないよ」

頑張っても頑張らなくても給金が同じであれば、
人は誰も頑張ろうとしなくなる。
当たり前のことだが、
その当たり前を苦い体験の中で改めて学んだ。
そして正義が多く偽善の衣をまとうことも……。
「平等」の権利をはき違えると、
「努力する者は報われる」という
日本の発展を支えてきた最低限の職業倫理さえ失われてしまう。
「機会の平等」は保証しましょう。
でもあとはあなたの努力次第。
勝っても負けても恨みっこなしですよ、
というのが一番理にかなっている。

勝ち組、負け組?
そんな色分けは心貧しき拝金主義者にやらせておけばいい。


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