誰が日本をダメにした?
フリージャーナリストの嶋中労さんの「オトナとはかくあるべし論」

第54回
人は見かけによる (その二)

どうしてこうも性格が粗暴なのかと、
自分で自分が空恐ろしく思えることがある。
なぜって、目の前を身じまいの薄汚い高校生が横切っただけで、
六尺棒でなぎ倒したくなってしまうからだ。
その衝動押さえがたく、ますます制御不能になってきている。

前回、人は見かけによる、という話をした。
映画『チップス先生さようなら』に出てくる
英国パブリックスクールの生徒たちの
凛とした物腰、居ずまいの正しさについてもふれた。
「それにひきかえ、わが国の若者たちは……」
という嘆き節もご披露した。

ほんとうのところ、こんな愚痴はこぼしたくない。
かつての国防婦人会のおばさんや隣組のおじさん、
自民党文教委員のおっさんたちのように、
規則大事と分別くさい説教など垂れたくないのだ。
でも、私の眼に映ずる若者たちは、
どうひいき目に見ても自由と放縦とをはき違えている。
また悲しいことに、
ひとたび「規則」だ「規律」だと声高に唱えたりすると、
決まって右翼だ新保守主義者だ、
といわれなきレッテルを貼られてしまう。

チップス先生が着任した学校のモデルは、
1875年創立のリース校で、
原作者のジェームズ・ヒルトンの母校でもある。
実際、リース校を卒業し、
ケンブリッジ大学に進んだ池田潔は、
その著『自由と規律』の中でこんなことを述べている。
《現今、われわれの社会の一部には、
 旧套[きゅうとう]を捨てて新奇に赴くに急なる余り、
 事物の真価に対する公正な認識を誤り、
 自由と放縦を混同して、
 あらゆる規律を圧制として排撃する気風の強いことが
 云々されている》と。

いみじくもチップス先生は、
映画の中で大約こんな台詞を口にする。
《私の古典の講義が
 生徒たちの役に立ったかどうかはわからない。
 ただひとつ、これだけは確実に教えた。
 礼儀と規律。
 これを教えること以上に大事なことが教師にあるかね》

厳格な規則でしばり、
体罰まであえておこなうパブリックスクール教育の主眼は、
精神と肉体の鍛錬にあるという。
鉄は熱いうちに打て。
まさにこの精神である。
規則でしばるのが悪いのではない。
規則に堪えられないひ弱な精神こそが問題なのだ。
たかが校則すら守れないこらえ性のなさが問題なのである。


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