誰が日本をダメにした?
フリージャーナリストの嶋中労さんの「オトナとはかくあるべし論」

第117回
あばたはあばた

夫婦喧嘩をしたことのあるご同輩ならわかってもらえると思うが、
女房を理詰めで追いつめたりすると、
土壇場で強烈な最後っ屁をかまされることがある。
「なによ、屁理屈ばかり並べて……
 あんたなんか口先ばかりで役立たずの、
 女一匹養えない甲斐性なしじゃないの!」。
男にとって、この「甲斐性なし」という言葉ほど
神経にこたえるものはない。
日頃、自身の甲斐性のなさに対し、
内心忸怩たるものがあるだけに、なおのことこたえる。

ああ、思えば私にも多感な時期があった。
『ハイネ恋愛詩集』をポケットに突っ込み、
『シラノ・ド・ベルジュラック』に涙し、
『若きウェルテルの悩み』に酩酊した時期が。
《愛のない世界なんて、ぼくらの心にとって何の値打ちがあろう。
 あかりのつかない幻灯なんて何の意味があるんだ》
(『若きウェルテルの悩み』高橋義孝訳)。
こう叫んだウェルテルにどれほど自分自身を重ねてみたことか。
ウェルテルが清純
(なんと麗しい言葉だ)なロッテに対したように、
凡夫匹夫の我われも、女性に対しては異性として見る一方で、
聖母マリアとはいわぬまでも、
ある永遠で清らかなものを求めていた。

思い出してみてほしい、結婚前のある一時期を。
あなたは相手の女性に恋い焦がれ、
夜もすがら眠れぬ日々を過ごしていたに違いない。
相手がどういう人間で、何に興味を持ち、
どんなことを考えているのか、必死に知りたいと願ったはずだ。
恋人時代はただ一緒にいるだけで幸せだった。
時に喧嘩して、
女性特有の奇妙な論理に翻弄されることはあっても、
そこに男にはない精神の活動を発見
(これが大いなる錯覚だったと知るのは、
 たいがい結婚した後になる)
して、かえって愛しく思ったはずだ。
別れるのはつらかった。
いつまで話しても話し足りなかった……。

ところがどうだ。
歳月とは怖ろしいものだ。
共に暮らしてみれば、
愛しの夫は食事中にくちゃくちゃと音を立て、
寝顔を見れば、痴呆のごとく口をいぎたなく開けている。
女房とて、愛する亭主の鼻先で平気でオナラをする。
これでは百年の恋もさめるというものだ。
わが家の話をしているのではない。
男と女はかくも惹かれ合い、
かくも拒絶し合う生き物であると言っているのだ。

西洋人はうまいことを言った。

《結婚前には両目を大きくあけて相手を見ろ。
 しかし結婚したら、半分、眼を閉じろ》


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