誰が日本をダメにした?
フリージャーナリストの嶋中労さんの「オトナとはかくあるべし論」

第120回
教える者と教わる者

杉本鉞子(えつこ)は越後長岡藩の家老の家に生まれ、
武士の娘として厳格にしつけられる。
後に単身渡米し、
アメリカ東部で貿易商を営んでいた杉本氏と結婚、
夫の死後はニューヨークに移り住み、
雑誌に『武士の娘』(ちくま文庫)を連載する。
七ヶ国語に翻訳され好評を得たこの著には、
異国にあっても日本の婦道を忘れることなく、
武士の娘としての気概を終生失わなかった一人の女性が、
生き生きと描かれている。

杉本は幼いころ、漢籍を学んだ。
婦女子が四書五経を学ぶのは、当時極めて稀なことであった。
孔孟の教えは六歳の娘にとっては、
やや荷が勝ちすぎたかも知れぬ。
が、師匠の坊さんは厳しい人で、
肉体の安逸というものを一切許さなかった。
稽古をつけている間の二時間、
坊さんは手と口を動かす以外、身動き一つしなかった。
ある時、杉本は稽古の最中に、
ほんの少し身体を傾け、曲げていた膝をちょっとばかりゆるめた。
すると師匠は、
《お嬢さま、そんな気持ちで勉強はできません。
 お部屋にひきとって、お考えになられた方がよいと存じます》
とピシャリ。
杉本は恥ずかしさのあまり、胸がつぶれる思いがした、
と述懐している。

長州の吉田松陰も杉本以上に厳しくしつけられた。
個人教授は後に乃木希典も教えた叔父の玉木文之進だ。
松陰五歳、教場は野天のあぜ道であった。
ある時、松陰が朗読していると、頬にハエがとまった。
痒いから少し掻いた。
玉木は飛んできて、気絶するほどに松陰を殴った。
見かねた母親は、「いっそお死に……」と祈ったという。
先生もすごいが母親もすごい。
以上は司馬遼太郎の『世に棲む日日』に出てくるエピソードである。

勉強をしている間は、身体を楽にしない
――世の教師たちにとって、この金言ともいうべき言葉を、
なべての学生たちが拳々服ようしてくれたら、
どんなにか喜ばしいことか。
当節は、授業中に私語やケータイは珍しくなく、
ひどいのになるとカップラーメンをすすっている
不心得な学生までいる。
玉木文之進なら、おそらく学生の素っ首を叩き落とし、
自らも自裁して果てたであろう。
時代はたしかに変わった。
しかしわずか五世代前の話ではないか。
教育問題は教育者の問題でもある、と司馬はいった。
管理教育がもっぱらの現代にあっては、
先生たちにとって、いささか酷な指摘ではあるのだが……。


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