「骨董ハンター南方見聞録」の島津法樹さんの
道楽と趣味をかねた骨董蒐集の手のうち

第2回
入門編(2)
宝とは何か

僕は昔、ヤマハに勤めていた。
たまたま美術関係の部門に付く機会があった。
それがきっかけで現在骨董屋になっている。
当時鬼も恐れるといわれたK会長に
「君、宝物って何かね。」と聞かれたことがあった。
「金ですか。」と僕は答えた。
K会長はすばやいレスポンスを要求する人で
少しでもタイミングがずれると
ギョロッとした目でにらみつけるのだ。
返事がもたもたして首が飛んだ重役もいたと言うから
僕は即座に金と答えた。

その時会長はとても機嫌がよくて
「フフフフ、そんなもんじゃないわな。金は金属だよ。」
と言ってさらに考えてみろと言うような目で僕を見た。
どう考えてもたいした答えが出ないと思ったのか、
K会長のほうからこんな答えが返ってきた。
「宝物っていうのはな、人間がこしらえたものを言うのだ。
 その技と言ってもいいんじゃないかな。
 金は金としか呼びようがないが、
 金や宝石で作ったクラウンなんかは宝物って言うじゃないか。
 もっと勉強してしっかりとやるんだな」
と言った。

骨董とはコレクターにとってそれこそ宝物であるから
この考え方は大切にしなければいけない。
自然に生えている珍しい木や美しい水晶の原石などは
決して骨董ではないのだ。
その水晶を磨いたり削ったり、
曲がりくねった木を利用して彫刻を施したりする
その技を評価するのだ。
言い換えれば骨董を評価するということは
人間が作り出す宝物を見出すという作業なのだ。

コレクターの原点とは
作品の技をどのように見てゆくのかということである。
感性を磨きレベルを高めていけば
自ずとすばらしい作品に出会うことになる。
骨董は古いと言う事とイコールだと思っている人が多いが
この考えによれば
必ずしも古いということにこだわらなくても良いように思う。
すばらしい骨董とは人の技と、
時代が重なった時に生まれさらに光るものなのだろう。


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