「骨董ハンター南方見聞録」の島津法樹さんの
道楽と趣味をかねた骨董蒐集の手のうち

第10回
基礎編(5)
日本美術

私はこよなく日本美術を愛しているが、
世界的な視野に立ってわが国の美術品を観察すると
どこかおかしい。
古九谷の皿が数億、鍋島の皿五千万、井戸茶碗数億。
骨董ではないが魯山人の金彩のぐい飲み10客2500万円、
富本憲吉の小ぶりの徳利800万円、板谷波山の瓶一億、
書画に至っては何でこんなものが
5千万も6千万もするのかと思うようなものが山ほどある。
この辺りがなんとなく胡散臭い匂いのするところだ。

日本美術も早晩世界の骨董と価格面で比較調整される局面が
必ずあらわれてくるように思われる。
これは何も骨董だけのことではなくて
現代美術においても同様である。
世界的に名の知られた画家の作品より
日本でだけしか通用しない画家の方が高価だという例が
わかりやすいかもしれない。

骨董にも同じようなことがいくらでもある。
骨董は好きな人が自分の感性で買うので値段などはどうでもよい、
と言うような、
小さな枠の中で見ていられる時代ではなくなっているのだ。
たとえば法隆寺の百万塔の例をとってみよう。
これは世界最古の木版印刷陀羅尼経のおもちゃみたいな
印刷をしたお経を中に入れて轆轤で削り上げた五重塔である。
美術的にはたいしたことが無いと思うが
なんと500万もするというのだ。
同じような時期に作られた
カンボジアの石彫の4面に仏陀が刻まれた
素晴しいストゥーパが70万円くらいである。
ガンダーラのブロンズ舎利容器やタイの黄金の舎利容器は
時代がやや下がるが
それでもせいぜい2,300万円くらいのものである。

こんな比較は少々無理があるかもわからないが
日本のコレクターは結構海外の作品にも目を向けつつあり、
あまり付加価値をつけすぎると
美術そのものが夢の中の出来事になってしまう。
そして本質を見る鋭い目が
養われなくなってしまうのではないだろうか。

今までは日本骨董業界は
非常に鷹揚な顧客と狭い商習慣の中の道具屋が
緊張感無くやってきたのだが、
ボツボツそんな時代ではなくなりつつある。
グローバルな世界の中で耐えうる日本骨董や、美術を再構築して
本当に意義ある日本美術を評価しなおさなければならない。
素晴らしい作品を見出していくのはコレクターだけではなくて
骨董屋の重大な使命のように思う。

反面、世界水準で見ても安くて値打ちのある作品もあるのだが、
そんなものは評価されなくて、
どんどん捨てられたり壊されたりしてしまっている。
たとえは日本の木工作品、着物、喫煙具、家具、
灯篭のような作品などは
住環境の変化によって少なくなってしまった。
それらは世界水準より遥かによいものであった。

高価なわけのわからない絵画や焼き物、
意味のない伝世の道具より、
よほど安くて蒐集の魅力に飛んだものがたくさんある。
たとえば陶磁器にしても
幕末の地方窯の作品などには
素晴らしいものがまだまだ眠っている。


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