第57回
30年早く生まれてしまった先生
私には、名古屋に感謝して止まない恩師がいます。
ヤマハの音楽の先生。
御歳ははっきり聞いたことはありませんが、
母親よりも少し上でいらっしゃると思います。
この先生はいつも口癖のように、
「私は30年早く生まれてしまった」
とおっしゃいます。
何故なら、保守王国名古屋では、
「飛びすぎている」から。
練習は殆どできませんでしたが、
毎週のレッスンの時に先生に会いに行くことは、
少し前の私の気分転換でした。
それ程日常生活に行き詰まりを感じていたのです。
先生は私に、
「あなたは人より嬉しいことと悲しいことが2倍ある」
と言い、さらに気持ちの行き場のない私を
「あなたは、私の若い頃にそっくり。
でも、名古屋で生きていくにはちょっと辛いわね」
と慰めてくれました。
そして、上京が決まったときには
「あなたは東京向きよ」
と手放しで喜んでくださいました。
この執筆が決まった時には先生に一番に連絡しました。
一番の不遇な時代に自分の存在を励ましてくれた
人の存在に感謝しているからです。
先生の勘は鋭く、
私の頭が爆発する寸前になると何故かメールが届くのです。
半世紀以上音楽をやってこられて、
喜びと挫折の両方を体験しているからでしょう、
指摘が的確です。
先生はとにかく「シミたれた感じ」が大嫌いで、
それが彼女の美意識の極みです。
今もピアノの先生について勉強なさっており、
「ボケ防止よ」と恥ずかしそうにおっしゃいますが、
ご立派です。
フランスびいきで、フランス語を習ったり、
フランス映画なども随分紹介してもらいました。
保守的な中で、「飛んでること」はとても大変です。
しかし、30年後について歩く、
次の世代の人間が分子となって育ってゆくこともあります。
異分子の先生の存在は大きいのです。
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