憲兵曹長の口走った一言

何が何だか私にはさっぱりわからなかった。何で勾留されたのか身に覚えもなかった。自分の本棚の中にはローザ・ルクセンブルクの本がかくされていたが、憲兵たちは田舎の出身で本など読んだことがないから、武内義雄の『支那思想史』とか、魯迅や北一輝の本を持ってきていた。
思想というだけで、危険思想と思うらしく、手にとってめくってもその区別がわからないようであった。
一日に午前と午後、二回の取調べがあった。憲兵曹長が取調べにあたった。
「もう隠しても駄目だ。お前のことは何でも調べあげてあるんだから」
と凄まれても、心当りのないことだから、なかなか向うの思うつぼにはまらない。
「お前は日本の船が次々と撃沈されて海の水が砂糖で甘くなったとデマをとばしているそうじゃないか」
と向うは少しずつ知っていることを小出しにしてきた。私がそういう冗談を口にしたことは事実であった。それを喋ったのは、私が親友と思って気を許していた同期生の一人であった。彼は小石川の大邸宅に住んでおり、彼の父親は銀行の頭取であった。きっとあいつはさんざ調べられて喋ることに困って、よけいなことを喋ったに違いない、と私にはすぐ合点がいった。
また「お前は大陸に帰りたがっているそうじゃないか」と聞かれた。これも事実だった。私は大学を中退してでもいいから、下関から釜山に渡り、朝鮮半島を通って満州に行き、そこから山海関をこえて中国に入る方法はないものかと、中国大陸の地図を出して何回も空想を逞しくしたことがあった。その場面には厦門から汪政権の留学生として同じ経済学部に来ていた一年下の中国人が立ち会っていた。私が重慶に行きたがっているとか、私が介石の『中国的命運』をこっそり隠れて読んでいるとか、あることないことこねまぜて憲兵に報告したのは奴に違いない。憲兵からスパイの検挙に協力せよと言われれば、これまたやむを得ないことであろう。しかし、「お前は重慶のスパイだろう。ちゃんと証拠はあがっているんだから」といくら凄まれても、そういう事実がないのだから、残念ながら相手に手柄を立てさせることはできなかった。
しまいには憲兵曹長が椅子を蹴って立ち上がり、いきなりこぶしをふりあげて私を殴った。
「わかった、お前の狙っているのはこれだろう」
そう言って地図の上に手をあてて日本内地と台湾の間を遮った。
「日本と台湾を分離して独立しようという考えだろう。どうだ。そうだろう。それに違いない」
私はあっけにとられてしげしげと相手の顔を見直した。
それまで私はそういう発想をしたことが一度もなかった。そういう閃きが頭を横切ったことすらなかった。しかし、憲兵曹長の口走った言葉を聞いて、そういう考え方もあり得ることにはじめて気がついた。ずっとのちに介石の台湾における悪政に愛想をつかして、私は生命を賭けて台湾の独立運動に邁進したことがあるが、そのヒントを私はこの無知蒙昧の憲兵曹長から得たことになる。
←前ページへ 次ページへ→

目次へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ