私はすっかり心が動いた。香港に行くことなど、それまでただの一度も考えたことがなかったが、廖文毅氏が旗を振ってくれるなら、自分もその傘下にはせ参じようと考えた。
ある日、研究室主任の林益謙さんが私に「君に紹介してくれと言う人があるんだが」と声をかけてきた。
「台湾銀行に勤めている荘要伝君といって、台湾へ帰ってくる前は朝日新聞の香港特派員をやっていた青年だがね」
「その人が私に何の用事があるんですか?」と私はききかえした。
「君に折り入って頼みたいことがあるそうだ」
「へえー。僕に頼みたいことって何だろう?」
「会えばわかるよ。さっき電話が来て、もし都合がよかったら、午後三時に京町のKコーヒーで待っていると言っていた。Kコーヒーわかるだろう?僕もその時間に行くから、君が先に行って待っていてくれ。二階のほうだよ」
言われたとおりの時間にKコーヒーに行った。下には何人かお客が入っていたが、二階に上がると誰もいなかった。しばらく待っていたら、色が黒くて、黒縁のロイドメガネをかけた三十歳くらいの青年が、階段の手すりをさわりながら上がってきた。白いワイシャツはそのへんのおっさんの着ているようなよれよれのもので、一見して体裁にかまわない人だということがわかった。
「邱さんですか?」ときかれて「そうです」と私が答えると、「林益謙さんは?」「もう来る頃でしょう」と私が答えると、間もなく林さんが上がってきた。注文したコーヒーを店員が置いていくと、林さんがまず口をひらいた。
「荘君は僕の最も信用している青年なんだ。去年の二・二八で一大決心をして、南京のスチュワート米大使のところまで談判に行っている。どんなことか、君、わかるだろう?」
それだけきけば、あとは何も言わないでも何の話かすぐピンときた。私も緊張したし、林さんの顔からも笑いが消えた。要するに、もう妥協はできないんだ、生命の危険をおかしてでも、国民政府を敵にまわして戦うよりほかないんだということだった。私や荘さんはまだ若かったから、こんな場合、すぐにも決心ができる。見ると、林さんも真剣な顔をしていた。もし林さんのような大先輩がリーダーになってくれたら本当に心強いんだが、と私は思った。
「どんなことになるかは君たち二人で話し合ってくれ。こういう話は、かかわっている人が少ないほどうまく行くんだから」
と林さんが言った。やっぱり、と私は思った。しかし、それはそれで仕方のないことだと私はすぐ思いなおした。林さんがきっかけをつくってくれただけでもよい。心の底では林さんも同じことを考えているとわかっただけでもよい。林さんが先に帰り、荘さんと私と二人があとに残った。こんなところで長話は禁物だというので、次の土曜日に台湾銀行の草山温泉にある寮に泊りがけで行く約束をして、別々に喫茶店を出た。

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