約束の日に、バスの停留所で落ちあい、草山温泉に向った。銀行の寮は戦前からあるもので、かなり広々とした立派な施設だったが、大陸から来た連中には温泉につかる習慣がないので、われわれのほかに泊っている客はいなかった。まだ日本風のお膳なども揃っていて、風呂のあとに浴衣を着てお膳に向った。荘さんはその間、ずっと自分のことを語った。中学時代に出身地の万華で特高に共産党員の嫌疑をかけられ、親指一本で天井から吊り下げられたが、それでも白状しなかったこと。台湾で学校に行くのをやめて東京に移り、中央大学法学部に入学した年に高等文官試験を受験したら、一ぺんで外交官の部に合格してしまったこと。台湾人が外交官試験に合格してもどうせ出世できないことはわかっているので、朝日新聞が記者を募集しているのに応募したら、すぐ採用になったこと。これ以上、大学へ行っても仕方ないと考え、大学を中退して新聞社に入社したら、大東亜戦争になって香港勤務を命ぜられたこと。戦争が終わって台湾に帰り、しばらく新聞記者をやっていたが、二・二八事件の時に怒り心頭に発してとうとうペンを捨てて、ただの銀行員に転業してしまったこと。どれ一つとっても、なかなかユニークな経歴の人であった。
「今、僕が一番後悔していることは、二・二八事件の起こるちょっと前に、うっかりして結婚してしまったことだ」と荘さんは半ば微笑、半ば苦笑を浮かべながら言った。「友達に女の子を紹介しようと思って、知り合いの女性を連れて行ったんです。そうしたら友達が四の五の言って断わったので、面倒臭くなって僕がもらうことにしたんです。もし二・二八が先に起こっていたら、僕は結婚なんかしなかったと思うんです。家庭のしがらみがなかったら、どこにでも動けるし、生命を失っても別にどうということはないし」
「でも革命家は一生、独身というわけでもないでしょう。むしろ一生かかってやるのが革命でしょうから」
「ところが、うちの家内ときたら、ねずみみたいな奴で、僕がちょっと動いただけでもすぐピンと来てしまうんです。二・二八のあと、僕が上海へとんでスチュワート大使に会いに行った時も、すぐそれを嗅ぎつけて政治運動はやめてください、やめなければ台北市警察局に訴えて出るといって大騒ぎになったんです。今、廖文毅さんが香港で独立運動を展開しようとしています。本当なら僕が行って国連に出す請願書を書いてあげるべきなんですが、家内がジッと目を光らせていて、僕は身動きができないんです。君に折り入って頼みたいというのは、僕の代わりに香港に行ってくれることです」
「僕に何ができるんですか?」と私はききかえした。
「邱さんならできるんです。林さんからもききました。頭の回転もよいし、筆も立つし、台湾の政治や経済についても熟知しています。われわれに必要なのは、歴史から説き起こして、台湾人が大陸の中国人と同じ民族でないこと、大陸と同じ意識を持っていないことを証明してみせることです。とりわけ国連で先進国の人々を納得させようと思えば、きちんとしたデータや統計数字が必要です。その点、邱さんは研究室にいて、しょっちゅう統計も扱いなれているし、最適任者です」
「僕に何をやらせようと思っているのですか?」と私はききかえした。
「台湾の将来の地位を決定する国民投票を実施するための請願書の草案を書いてもらいたいのです。これから家へ帰って一週間くらいのうちに書いてみてください。僕も一緒に見ますから、書き終わったら、もう一度書きなおす時のために必要な数字だけ手帖の片隅に書きとめておいて、あとは全部焼いて捨ててしまうのです。それを頭の中に入れて、香港に行ってもう一度、はじめから書きなおすのです。準備万端整ったら、僕のほうから廖先生に連絡をします」
「廖文毅さんとはご面識があるのですか?」
「上海に行った時に会っています。人物についてあれこれ批判している余裕はありません。同じ志を持った人ができるだけ力を合わせることが肝心です」
翌日、山を下りると、私はすぐ夜を徹して草案を書きはじめた。三日もたつと書き上がったので、荘さんに見てもらった。ほとんど手を入れられないですんだ。二人の見ている前で私はそれを焼き捨てた。あとは香港に行く手筈をととのえることだけが残っていた。

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