「お金を持ち出すのが困難だったから、こうするよりほかなかったのですよ」と弁解しながら、蔡さんは全財産を私の目の前に並べて見せた。「さあ、これから香港ドルに取り換えに行きましょう」とさっき脱いだズボンをもう一度穿きなおすと、蔡さんは私を促した。
米ドルを香港ドルに換える両替屋は軒を並べているし、為替の相場が毎日立っているから、二、三軒きいてまわって一番高いところで換えればよかった。それに比べると、金の延棒は金屋に行かなければならないし、いざ売りに行くと、こちらの足元を見て、金のパーセンテージがどうのこうのと言って、相場より安い値段を提示する店が多かった。なかには、どんな成分か調べるのに二、三日はかかるからおいて行けという店まであった。ダイヤになると、色の具合からキズによってグレードがさまざまだから、店によってずいぶんひらきのある値をつけられた。蔡さんは日本でもそうした駆け引きにはなれていると見えて、安い値をつけられても少しも動ぜず、何軒かまわると、また一番脈のありそうな店に戻ってかなり粘った上で現金化した。
それから薬問屋の集まっている通りに出かけて、ストマイはあるか、ペニシリンはあるかときいてまわった。広東語の通じない分は字に書いたり、手真似で理解しあった。三、四軒もまわれば、どの店が正直な店かだいたいの見当がつく。そこへ戻って、たとえ一本につき二十セント負けてもらっても、数があるから、かなりの値引きになる。それを港の荷役会社に届けてもらい、荷造り用の石油カンとゴムの袋を用意してもらって、倉庫の中で荷造りをした。
まずストマイやペニシリンは段ボールの箱から取り出して、石油カンの中にスキマができないほどぎっしり詰めた。蓋をかぶせてその上からハンダづけをする。その上からゴムの袋をすっぽりかぶせるのは、万一、埠頭から陸揚げできずに、海の側におとして集荷する場合でも、海にポカポカ浮いているようにするためだそうである。
「海の中に投げ込むような場合もあるんですか?」
と私がきくと、
「たいていは、港の警備にあたっているMPを買収して見て見ぬフリをしてもらうから大丈夫ですよ。でも、どうしても話がつかない時は、夜陰にまぎれて反対側の海に投げて荷揚げをすることもあるんです」
「じゃ海に落っこちたまま拾いそこなうこともあるでしょうね」
「そりゃあるでしょう。でも荷揚げができずにそのまま香港に戻るよりは、一つや二つなくなってもそのほうがましですよ」
「この荷物を船に載せる時、香港の税関は立ち会わないのですか?」
「香港は自由港でしょう。阿片とか、銃器でも積んでいりゃうるさいけれど、こんなに何百隻という船が出入りしているところで、そんなことかまっちゃいませんよ」
「でもゴムの袋で荷造りしちゃあやしまれるでしょう」
「ですから出発する時は、石炭の下にかくしておくのです。神戸に着くか横浜で荷揚げをするかによって、ちょうど着く頃に荷揚げがしやすいように、機関長がどこの石炭から使うかも加減してくれるんですよ」
「すると、船員さんみなでグルになってやってくれるんですね」
「そりゃそうですよ。船員にとってこんないいアルバイトはめったにありませんから」
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