旱天の慈雨、閃く郵便小包商売

香港に戻ってくるのが遅れたことについて蔡さんはいろいろと弁解していたが、本人の言うような事業上の都合というよりは、愚図愚図と行動する本人の性格からくるもののように私には思えた。前回と同じホテルに宿をとると、蔡さんはこれまた前回と同じように、ベルトをゆるめて細工をしたズボンの中から金の延棒やダイヤや米ドル紙幣を取り出した。その山の中から、百ドル紙幣を十枚抜き出して、「たいした配当でなくて申し訳ないが、倍にしておかえしします」と私の前に突き出した。
五倍にも十倍にもなるという話をきかされたあとだけに、倍ではなんとなく当てはずれという気がしないでもなかったが、考えてみれば、五百ドル出しただけで、難関をくぐったり、商品を処分したりする仕事はすべて相手任せだったのだから、千ドルになって戻ってきただけでもありがたいと思わなければならない。半年も無収入が続いたおかげで、私の財布はすでに底をついていた。そこへ五百ドルが千ドルになって戻ってきたのだから、「早天の慈雨」と言ってよかった。
私は気をとりなおして蔡さんにお礼を言い、前より少しは上達した広東話を駆使して、香港滞在中の蔡さんの道案内をした。もう二回目だったから、ストマイやペニシリンを売っている薬問屋の人たちとも顔見知りになっていたし、郵便小包にする商品をどこで買えばよいかもわかるようになっていたので、何日もかかった作業が二日か、三日で片づいてしまった。
蔡さんは、商売として扱う商品は、以前と同じように石油カンに詰めて荷づくりしたが、奥さんや自分らが使う衣料品や靴などは相変らず私に頼んで郵便小包で送り出そうとした。その手伝いをしながら、私の頭の中にひらめくものがあった。

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