強引に連れ去られた花嫁

私の車にはおめでたのしるしに朱の帯がかけられていた。運転手は、この日のためにわざわざどこかからタキシードを借りてきて身をかため、私を花嫁の家まで運んでくれた。キリスト教徒ではなかったので、結婚式といっても神の前で誓うわけではなく、香港サイドにある註冊署に行って、お役人の前で二人がサインをし、双方の証人がまたサインをするだけである。そのあと広州大酒家の三階を借り切って披露宴をやることになっていた。しかし、私はずっとふさぎ込んだまま、ろくに口もきかなかった。どうせ私には必要でもないことのために喧嘩のタネを蒔かなければよかったと後悔していた。金銭はあらゆる幸福をもたらしてくれると言うけれども、それをめぐって争いになったり、不仲になったりすることもあることが身にしみた。
不仲になるといえば、私一人だけが急に金持になったことについて一番面白く思わなかったのは、かつて私が居候をしていた廖博士の家に居侯をしていた人々であった。どこの社会でも一人だけが突出すれば波風の立つもとになる。私もそういうところには神経を使って、みなをご馳走したり、ダンスホールに誘ったりしたのだが、そんなことくらいでみんなの心の中にくすぶる嫉妬心をやわらげることはできなかった。
私が結婚することがきまると、当然のことながら、廖博士の一家をはじめ、昔馴染みにはひととおり招待状を出した。ところが、ひょっとしたら、私の家から出て行った簡君が首謀者だったのではないかと思うが、簡君が代表してわざわざクリネックスをダンボール一箱、新婚祝いとして私のところへ届けてきたのはいいが、当日になると、あらかじめしめしあわせて誰一人結婚式には出席してくれなかった。私に対する不快感をそういう形で表示しようとしたのであろう。廖博士も、奥さんと子供が代理で出席したが、ご本人は姿を見せなかった。
しかし、それでも披露宴のテーブルは二十卓が一杯になった。一卓十二人として、二百四十人のお客が来てくれたことになる。私のほうのお客はせいぜい二卓で、あとはすべて家内の家の関係者ばかりであった。あらかじめ宴会費用はどう負担するかについて相談があって、「ふつうはどうするんですか?」と私がきいたら、「半々で負担することが多い」と言われたので、「じゃ、それでいいでしょう」と私は賛成した。ところが、宴会の当日に、二卓分しかお客のない私が十卓分負担したことを知ると、趙太太がまた「これも人を食っている」と言い出した。しかし、約束は約束だから、私は宴会が終わると、両家を代表して請求されたとおり小切手を切り、別に香港ドルで三百ドルのチップを払った。請求金額の一割くらい払えばいいだろうと思って払ったのだが、あとでそんな気前のよいチップの払い方をする人は香港にはいないと言われてしまった。請求書の中にすでにサービス料は含まれており、チップはその上よけいにくれるお金だから、百ドルも払えばよかったのだそうである。

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