花嫁の兄弟たちのことはともかくとして、この後始末は花嫁の父親と私の間でつけるよりほかないと私は思っていた。私のほうが年は若いのだから、私のほうがあるていど譲ることは別にさしつかえない。しかし、私だけの責任にされたり、私が花嫁への情に負けて一方的に迎えに行ったのでは、与しやすい人間と思われてしまう。与しやすしと思われることで都合のいいこともあるかもしれないが、相手の一家から軽くあしらわれることには強い抵抗がある。
私がどうしても自分の主張を曲げないので、困りはてた阿二姐は、私を潘家に連れて行ってくれた趙太太のところへ相談に行った。趙太太もすぐにとんで来てくれたが、雑音がもう一つふえただけのことで埒のあかないことに変わりはない。とうとう昼近くなって、かねて焼豚を注文してあった焼臘舖(シューラブボー)から、「子豚の丸焼きができあがりました」と言ってきた。
「どうしましょう」とうちの女中さんも運転手もおろおろしている。
「心配することはないよ。向うの家へ届けなくとも、お金さえ払えばすむことだから」
口ではそう言ったものの、昨夜、結婚式に来てくれた女家の親戚知友のところへ子豚の丸焼きが届かなければ、昨夜の一部始終がパッとひろがってしまう。というのも、広東人の風習では、結婚式の初夜に花嫁が処女であった証拠が確認されると、翌朝、男家から女家に豚の丸焼きが贈られることになっており、もし焼豚が届かなかったりすると、どうしたどうしたとあらぬ噂まで立てられるにきまっているからである。
処女であることが確認されれば、焼豚が贈られる習慣があると私は言ったが、では処女でなかったら焼豚が贈られないかというと、そうはいかない。再婚の女性であれば焼豚を贈るか贈らないかの問題ははじめから起こらないが、万一、初婚でありながら焼豚が贈られないと、女家のメンツの問題になる。だから処女云々ということとは関係なしに、結婚の翌日は焼豚が贈られるのが常識になっており、それが贈られないと、何かあったに違いないと好奇心の対象にされてしまうのである。
その焼豚が四頭分焼き上がって私の家に届けられてきた。せっかく焼き上がったのに、持って行く先がなければたいへんなことになる。趙太太をはじめ、家に来ている人たちは盛んに気をもんだ。東京から結婚式のために来てくれた私の姉も、
「私としては不満があるけれども、これはあなた自身のことです。あなたがいいと思ったとおりにおやりなさい。迎えに行ってあげたほうがいいと思ったら、迎えに行ったらどうですか?」
それでも私は
「いや、出て行く足があるのだから、自分で帰ってくればいい」
と頑張ったが、そう言ったからといって、家内の立場をまったく考えないわけでもなかった。
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