そんな家に育っただけに、うちの家内は娘時代に自分の家の台所に入ったことが一度もなく、料理どころか、ご飯の炊き方すら知らなかった。嫁に来た私のところにも、ちゃんと料理のできる女中さんも、運転手つきの自家用車もあったから、何の不自由もなかった。ただ料理もひととおりできる老女中がいるとはいえ、女中さんの料理はレパートリーが知れていて、三日にあげず同じ料理が出てくる。私は料理のうるさい家に育ち、食べ物に対してはいろいろと注文があるので、なんとしても家内に食卓のレパートリーを拡げてもらいたかった。この年にもなって食べ物に箸をつけなかったら、「あなた、外へでも食事に行ったらどうですか?」と言われるところだが、その頃は新婚ほやほやだったし、家内も私の食事には気をつかったので、自分の実家に帰ると、自分の実家の料理人に料理の作り方をきき、それをメモして戻ってきて、我が家の台所で再現するようになった。
家内の料理人としての腕はたちまち上達した。のちに東京に移ってから、我が家には多くの文人墨客や貴紳豪商が食事にみえるようになったが、その時のコック長は家内が一人でつとめた。
なかでも文藝春秋の池島信平さんは家内の腕を最高に買い、私の家に食事に来る時は、「邱飯店に食事に行こう」と友人たちをたくさん誘って来られた。
「どうしておたくの奥さんはそんなに料理がお上手なんですか。どこか料理学校にでも行かれたのですか?」とよくきかれたが、私はいつも、「いいえ、家内はどこの料理学校にも行っておりません。先生にもついておりません。強いて言えば、舌で料理を覚えたのです」と答えている。
料理は腕で覚えるものではなくて、舌で覚えるものであるというのが私の持論である。子供の時から美味を舌で覚えておれば、自分が料理をするようになると、たちまち上達する。舌が覚えた通りの味にならなかったら、どこかが間違っているのだから、それをなおせばよいのである。
そう言えば、うちの娘も嫁に行くまではガスのつけ方一つ知らなかった。食事はすべて家つきのコックにつくってもらったし、夜食は弟たちの手をわずらわした。「そんなことでどうするの」と心配するのは親たちであって、自分で台所に立つようになると、すぐにも腕が上がり、とびっきりの味つけができるようになるものである。家内がそうだったから、これは母娘相伝の特徴と言えるかもしれない。
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