私のような流れ者にとって香港はまったくの異邦だが、家内やその一家の人たちにとっては永住の土地であった。だから同じ土地に住んでも気構えも違えば、財産の運用の仕方も違う。私は自分がいつどこへ動くかわからないと思っていたし、またいつでも動けるように準備をしていた。
しかし、家内は土地の人だから、自分と結婚した以上、これからは私もこの土地に住むものと考えている。そのためには、安定した収入のある家産の運用が大切であり、何はともあれ家賃を払ってマンションを借りているのでは駄目だといって、私に不動産を買うことを盛んにすすめた。
私も月々五百ドルもの家賃を払うのはもったいないという気持があったし、自分らのマイホームとして家を買う分には積極的に反対する理由はなかった。
ただし、どういう家を買うかという段になると、私と家内では意見が対立した。家内は土地の事情に通じているから、繁華街の中に三階建か、四階建の小さな住居ビルを一軒買い、自分らはその一階分に住んで、空いたところは人に貸して家賃をもらえばいいと言った。私は雑居ビルの上に住むのは気がすすまなかったし、自分は読書家だから、閑静な環境の中で読書万巻にふけっていられるところを欲しがった。結局、私は自分らの住んでいたマンションと背中合わせになった利成新邨(リイセンサンツウン)という庭付きの高級住宅の奥まった袋小路の奥にある十号館を買った。
すぐ隣りは三階建だったが、私の買った家は二階建だった。あとでもう一階建て増して人に貸したが、買った時の価格は当時の香港ドルの六万ドルだった。三万ドルしか現金を持っていなかったので、私は銀行に三万ドル貸してもらえないかと申し出た。銀行は、お金を貸すのはいいが、未登記の土地建物を担保にお金は貸せないから、別の不動産を提供してもらえないかと言ってきた。そんな物は持っているはずもないから、家内に話をし、家内が自分の父親に話をすると、岳父は二つ返事で自分の家を担保に提供してくれた。岳父が私にそういう便宜を図ったことが知れると、一番上の姉さんが自分たちの時はそうしてくれなかったのに、なぜ阿蘭(苑蘭の愛称)の亭主だけ特別扱いをするのか、といちゃもんをつけた。登記が終わると、私は自分の不動産を担保に入れて岳父の分は抹消してお返しをしたが、そんな面でも私は特別扱いを受けた。
ついでに申せば、私が自分の好みで閑静な住宅街に邸宅を買ったことは失敗だった。同じ値段で一つ隣りの大通りに面した家を買っておれば、その後の不動産ラッシュで、あッという間に十倍にも二十倍にも値上がりをした。それが読書万巻としゃれ込んだおかげで、十年たっても、倍になったらいいほうだった。この時の経験にこりて、以後、東京で不動産を買うようになった時は、私は渋谷や新宿の繁華街に目をつけるようになった。デパートに近いほど便利だからと思って、渋谷の西武デパートに隣接するマンションを買ったこともあったが、それはずっとのちになってからのことである。
←前ページへ 次ページへ→

目次へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ