時間の短縮とはお金の節約のことだ 山崎鉄工所の「無借金経営」に学ぶ
「その他の時間」は何に使われているか
ギネスブックの記録に挑戦するような時間の短縮には誰でも関心を持っている。マラソン、百メートル競走、はてはクロール、バタフライなどの水泳競技、およそ人間の体力の限界を試すことなら、ホンの数分、数秒、もしくはそれ以下の刹那についても争う。
人生そのものにはゲーム的要素は強いから、そうしたことに私が全く理解を示さないわけではないが、「刹那に人生を賭ける」人たちがその他のありあまる時間をもてあましている風景にしばしばぶつかる。訓練、訓練の連続で、たまの休みをのんびりレジャーに使っているというのならわかるが、訓練以外の時間はブラブラしており、話をしても大した話題がなく、「大めし、大グソの集団だよ」と人から陰□をたたかれたりしている。
私はそういうことを見るたびに、人間のリコウかバカかは、「その他の時間が何に使われているか」「よく考えて時間を使っているか」のほうにかかっているように思うのである。
「効率」は経済活動から私たちの日常生活に至るまで、人々が改善の目標にしているものの一つである。だからAの地点からBの地点に行く時間を短縮することは、国鉄(JR)や日航をはじめ、あらゆる運輸業者の常に考えていることであり、同じことが荷物を届けたり、一つの機械の作業工程についても争われている。
たとえば、一台の工作機械で、ある工程の作業をするのに、一時間かかっていたのが三十分ですむようになった。すると、効率が倍になったのだから、合理化がその分だけすすみ、生産性があがったと人は思いがちである。しかし、一つの機械の一工程がいくら合理化されても、他の工程が慢慢的(マンマンデー)で、無駄に放置されている時間が長ければ、効率的な機械に新しく投資した分だけ逆にコスト高を招いたことになる。ロボット化とか、コンピュータ化にはすべてそうしたマイナス面が生じがちである。
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