使った時間に応じた収入を得る法
私の場合は、同じ「時間売り」であっても、一応、単位時間をいかに効率よく売るか、を心がけることが可能である。もとよりすべての時間をお金にかえようと考えているわけではないし、お金儲けが人生のすべてだとも思っていない。むしろ一時間で五十万円になる時間を全くお金にならないことに使うとか、あるいは、その時間を逆にお金の出て行くことに使えば、仮に十万円使ったとして、差し引き六十万円使ったことになるから、ゼイタクをした満足感は通常人よりは大きいはずである。その意味で効率のよい人生の生き方は、自分の使った時間が自分の働きに応じた収入になって現われるようなシステムの中に自分をおくことであろう。
「収入」というコトバを「心の満足」というコトバに入れかえても、もちろん、さしつかえない。働けば働いただけ自分の「収入」もしくは「心の満足」がふえるようになれば、働くことに楽しみが生ずる。ただし、収入も欠乏を補ってあまりあるようになると、税金もふえるし、また精神的な限界効用がテイ減して行くから、それがブレーキとして作用するようになる。集中的に売る時間をきめてしまい、その他の時間は自分の「心の満足」のために使用しようという気を起こすようになる。
そうした人々にとって時間がどれだけ貴重なものであるかは他人に教えてもらわなくても自分でよく知っているであろう。
問題は、「拘束された時間が自分の働きに応じた収入をもたらさない」環境におかれている場合にどうするかということである。大抵のサラリーマンは働いても働かなくても同額のサラリーをもらう。どちらかというと働きすぎると同僚や上役のそねみを買うことが多いから、つい「休まず、遅れず、働かず」という法則に支配されてしまう。それでも人間関係に神経を使って、上司から憎からず思われ、派閥の争いの犠牲にされず、かつ好運に恵まれることができれば、出世街道を驀進することができる。そういうやり方もサラリーマン遊泳術の一種であることを私は認める。
しかし、将来、「時間売りに応じた収入を得たい人」とか、「人生を出来高払いで生きたい人」とか、あるいは、「他人のサラリーの分も自分が稼いでやってもいいから、仕事の中に張り合いを見出したい人」とかは、拘束された時間を上手に使うことからスタートしなければならない。
大学を出てはじめて入社したフレッシュマンなどは、西も東もわからずに、時間だけを拘束されているから、サラリーは拘束料であると思いがちである。傭っている側から見ればとんでもない話で、ほとんど値打ちのない時間に対してお金を払っているのだから、早く時間を効率的に使える社員になってもらいたいと願っているのである。
もちろん、若い時は使える時間をふんだんに持っている。時間というものは使っても使わなくとも、ホテルの部屋と同じように、次の日まで残しておくことができない。だからつい浪費してしまうことが多いが、ありあまる時間は全部使ってしまえるものではない。ちょうどお客が集まらないために、全部のホテルの部屋を満杯にできないようなものである。そういう時は、集中的に時間を使う。何に使うかは人によって違うが、自分が計画した理想的な未来図に役立つことに使うのである。拘束された時間を集中的に使うことを身につけることができたら、やがて空いている時間が次第に侵蝕されて、ついに二十四時間あっても足りないようなスケジュールになっていくのである。
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