夜型人間と昼型人間
さきに面白くて朝方まで読んでしまうような本があるといったが、そんな本は本当は滅多にない。滅多にないから、読みかけた本をまた読みはじめると、すぐ眠くなる。眠くなったと思って灯を消すと、暗くなった途端にまた目が冴えてくる。すると、また灯をつけて本で眠りを誘う。そういうことをくりかえしているうちに、いつか眠りにおちいってしまう。夜には「夜の思想」があって、それはそのまま昼間の行動の基準にならないから、昼間やることについては、夜、考えないことが時間の無駄にならないのである。
ただし、そんなことをいっても、平静でおられない夜のない人はまずいない。七転八倒しても、また一晩中、怒りに狂っても、その時間は、仕事に使える時間でないことに変わりはないのである。
もっとも、小説家などには夜型の人と昼型の人がいて、昼間は頭も冴えないが、夜になると途端に元気になる人がある。
一般に夜型の人の書くものは、「夜の思想」が多いから、昼間、読むとどうにもピンとこない。そこはうまくしたもので、夜を迎えない人はいないから、夜型の人の書いたものでも、夜になって読むと、なるほどなあ、と共感を呼ぶ。川上宗薫とか、宇能鴻一郎とか、村上龍とかいったセンセイの文章はこの分類に属する。
それに比べると、私の書く文章や私の思想は「朝の思想」である。「朝の思想」だから、昼間、動きまわる人の気持にうまく合致する。その代わり、私の本を夜、読む人は、「何と風情のない人だろう」と思ったりするかもしれない。私の悪友の中には、私の書いた『朝は夜より賢い』という本のタイトルをしみじみと眺めながら、「朝は夜より堅い、じゃないのですか」
とまぜくりかえしたりする奴もある。「それじゃあ川上宗薫センセイの世界に戻ってしまう」
と私も負けてはいないが、とにかく夜の八時間はベッドの中の時間である。ベッドの中で何をするか、またどういうことにどれだけ時間をかけるかは、人によって違う。
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