(4)とすれば、東京の郊外に建てた家は、人に貸してしまえばよいが、人に貸すように設計されていない家は、家賃も少ししかもらえないし、木造だからすぐ古くなってしまう。再び東京に戻った時に、返してもらって住むというけれど、もうその時には、もう一度、建て直さなければ、気に食わないのではなかろうか。
さしあたり必要なことは、次の転勤先で払う家賃だから、それなら、家賃の入る物件をもつことに切りかえたら、どうであろうか。
(5)そう考えてみると、転勤先を転々としている間、借家住まいをしているのならば、そもそも借家の家賃さえ払えばよいのだから、いちばん大切なことは、家をもっていることではなくて、家賃を払えることではないだろうか。
もしそうだとしたら、収入向きの不動産に投資をして、自分の住居のほうは、借りて住むということも考えられるのではないか。つまり、きちんとした財産としての不動産さえもっておれば、もともと住む家は、家族構成や勤務先によって転々としてもさしつかえないのである。
(6)と、ここまで発想の飛躍のできる人は、マイホームづくりに頭を釘づけにされる必要は何もないことになる。心配なのは、年をとっても、自分の住む家がないことであり、またインフレ対策ができていない場合である。だから、もし私なら、収入向きの不動産で確実なものを手に人れ、自分の住む家は、一身上の都合によって臨機応変にかえていく。「所有」にわずらわされることなく、「貸借」契約にしばられるだけならば、人間の植物化はかなり避けられるのではあるまいか。
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