たとえば、写楽などという浮世絵師は、生きていた間は一枚何文という木版画の下絵描きにすぎず、本名が何という名前で、どんな素姓の人であったかさえ全く知られていない。その作品も一時期売り出されただけであとはぷっつり切れてしまい、多分、あまり売れ行きがよくなかったのであろう。明治のはじめまでは、それこそフスマの下張りにしかならなかったような作品だったのが、いったんその独創性が認められ、世間からもてはやされるようになると、世界三大肖像画家の一人にあげられ、版画一枚が三千万円、四千万円の高値を呼ぶようになった。
また孫子の兵法なども、戦争を職業とする人たちからはいつの時代も研究の対象とされ、深遠、簡潔な文章であることも手伝って、書いた本人も気がつかなかったようなさまざまな解釈をされているが、孫子がどんな人なのか、実戦で立派な実績をあげた人なのかどうか、全く知られていない。写楽にしても孫子にしてもおそらく後世、多くの人たちからもてはやされるようになるとは、予想だにしていなかっただろう。
そういう人たちに比べれば、ピカソとか、ロダンとかは、恵まれた人々だし、同じように、横山大観とか、東山魁夷とか、いった人々も好運な人たちであろう。しかし、それは今の時点で、名利兼収と思われているだけのことで、百年後も、千年後も、そうであるかどうかはまだわからない。どちらかといえば、時代の淘汰に耐えられなくなるのが普通だから、本人にしてみれば、同時代人に認められるほうが張り合いがあるだろう。もしそうだとすれば、芸術的な作業は、作業の工程や内容に違いがあるだけで、事業や利殖とさほど違っているとはいえないのである。
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