時間に汚染されない鮮度の保ち方 流れゆく日々をどう充実させるか
人は感激を失うものか?

前に「道草を食って大きくなれ」と言ったが、道草というからには目標があるはずである。
ちゃんとした目標があって、あくまでも最後の目標をめざしているのだが、すぐそこに見えていても道が曲りくねっていてなかなか目標まで辿りつけない場合がある。そういう時にふと見つけた道草が、美味なものであれば、馬ならずとも、ついつい時間を費やしてしまう。
それはそれでさしつかえないのだが、道草があまり美味しすぎるか、食べても食べきれないほど続いていると、道草に夢中になって、自分は何のためにここを通りかかったのかつい忘れてしまうことがある。「初心を忘れる」とはこういうことであり、そういう人は「ミイラをとりに行ったのが、そのままミイラになってしまう」おそれがなしとしない。
「初心」という漢字を日本語ではウブとフリガナをふる。ウブとは生まれたばかりのことであり、産湯というのは、生まれてはじめて浸かる湯のことである。
はじめての時は、どんな体験に対しても、人は敬虔な気持ちを持つ。驚きあり、感激あり、警戒心あり、研究心ありである。初恋の時のことを思い浮べて見るがいい。初体験の時のことでもよい。初めて夢精をした時のことでもよい。青春とは、そうした感激を味わうことであり、年をとるということはそうした感激を感激として受けとらなくなり、忘れるか、鈍感になってしまうことである。慣れてしまえば、それが当たり前のことになるから、同じところにとどまっていては、青春の血は湧くことを忘れてしまう。ドン・ファンならずとも、新しい恋を求めたい気持ちになるのはやむを得ざることであり、人間の業といってよいであろう。

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