私の経済学は自分のポケットの中の一万円札から出発する。その一万円札が自分のふところから出て行って、税務署の手に入れば、国家予算に化けるし、バーの酒に変われば、ホステスのネグリジェくらいには化けるかもしれない。あるいは彼女のボーイフレンドのネクタイに化けることも考えられる。そういうネグリジェの会社やネクタイの会社が私に講演を依頼すれば、その一万円がまた私のところへ還流してくるが、そういう会社に講演を頼まれることはあまりないから、実際は、多摩川から放流された鮭の子が太平洋からオホーツク海、べーリング海峡とめぐりめぐって還流してくるくらいの遠まわりをして戻ってくる。「おあし」というくらいだから、ボロボロになって日銀に回収されるまで次から次へと歩きまわるのがお金である。それが子を連れて帰ってきてくれるようにするにはどうしたらよいか――というのが私の経済学であり、利殖学である。
だから、私は総花的な話はしない。インフレが一番問題になる時は、インフレ対策に重点をおいた投資の仕方について述べるし、経済摩擦が激しくなってくれば、どうやってアメリカの日本に対する不満を緩和するかを考える。また三業地で商売ができなくなったら、どうやって地域再開発をするかに頭を使うより、次の新興地はどこか、そこへ動いてどんな新商売をやったらよいか、について智恵をしぼる。ほかのこまごまとしたことは私にとってはまあ、どうでもよいことなのである。
第二に、私は自分に実行できないようなことは話さない。土地を買いなさい、マンションにしなさい、いや、株を買うならこれだ、というのは私が現に実行していることか、これから実行しようとしていることである。私の提案したことがどの程度の打率になっているかは私の信奉者たちが一番よく覚えてくれている。
しかし、これだけ豊かな世の中になると、「お金だ、お金だ」といっても、もうそんなに私たちの胸には響いてこない。もう少し違った角度からの切り口があるのではないか、と今の私は思っている。
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