私は、家が郊外に拡がって行くこともさることながら、東京で起こったことがすぐ地方都市に伝染し、地方の人々が家の建て方からスナックのつくり方まで東京の真似をするのを見て、日本には都市文化があるだけで、田園文化というものはないなあ、と痛感させられた。まだ交通がそれほど発展せず、群雄割拠して相争った時代には、藍の町とか、切支丹の町とか、金山の町とかいったものがあったが、明治以後は、産業別に置きかえられ、さらにテレビの普及した昨今では、産業別の特長さえなくなってしまった。新興の産業が全国どこへでも工場をつくるようになり、この間まで漬物をつくっていたところで、自動車の組立てをしたり、電子パーツの生産をするようになっている。
東京で起こったニュースは、同時に全国にブラウン管を通じて流される。六本木や原宿の若者たちの風俗はそのまま松山や鹿児島の若者たちに受け入れられる。紀貫之の昔から、島流しにされたものは、いつも都会文化にあこがれたが、「山の中の三軒屋でも住めば都よ」といわれたところでも道路網の整備されたおかげで、都心部と直通するようになってしまった。
この傾向は、東京の周辺でもっとも激しく起こったので、秩父の山の中から千葉の海岸まで、大東京が拡がってしまった。おかげで、誰が一番儲かったかというと、東京近郊で百姓をしていた人たちである。何しろいままで大根や芋をつくっていた農地が住宅地になって、一町歩いくらだったのが、一坪いくらで取引されるようになったのである。三千分の一の面積を問題にするようになったのだから、土地を持っていた人たちは三千倍くらい金持ちになったといっても決して誇張したことにはならないだろう。
おかげで、みんな「お金」の話ばかりするようになって、「時間」のことはあとまわしにされる時代になった。郊外に家を建てれば、そこから勤め先まで電車に揺られて片道一時間や一時間半かかるのが珍しくなくなっている。一日は二十四時間しかないのに、電車の中で三時間も揺られていることを何の抵抗もなく受け入れている人が多くなっているのである。
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