失業をしても、失業保険をもらっている限り、最低生活は保証される。それならば死に物狂いになって自分の好きな職を見つける努力をしそうなものであるが、人が職を選ぶ基準は、好き嫌いよりも、(1)世間のきこえがよいかどうか、(2)楽な仕事であるかどうか、(3)待遇はまあまあかどうか、(4)将来に不安は残らないかどうか、といったことに重点がおかれるから、仕事はあくまでも生活の手段であり、生活と仕事が二つに分かれてしまうのである。
凡百の仕事の中で、人間が本当に心をときめかせてやれるような仕事は、もともとそんなにたくさんあるわけではない。だから、世間のきこえも悪くなく、待遇もまあまあであれば、腰かけにしようかと考える人がいたとしても不思議ではない。
そういう人が仕事のほかに、プライベートな生活を欲しがるとしても、これまたごく自然なことであろう。
しかし、それは野心のない人の仕事の選び方である。野心のある人は、仕事とプライベートな生活を分けてはならない。仕事にプライベートな時間をすべて注ぎ込むか、注ぎ込むに値しないような仕事であれば、仕事そのものを放棄するか、のどちらかでなければならないと思う。
学校を出たての人が、就職試験を受けて入社した先で、すぐに全情熟を傾ける気を起こすような仕事にぶつかることはもちろんまずあり得ない。好きな仕事でないから、仕事にかける手間ひまは大概のことにしておきたいと思う。
月給もらっている手前、月給分くらいは働いて、あとは人生を楽しむことに使おうと考える。
それはそれとして合理的な生き方であるが、もしイヤな仕事は捨てて、思いきって自分の好きな仕事にとび込むことができたら、もっと素晴らしい人生が待っているのではなかろうか。
もしくは、今まで嫌だ嫌だと思っていた仕事に興味が湧いてきて、プライベートな生活の時間をそのまま注ぎ込む気になったら、どれだけ能率があがるだろうか。出世する男とそうでない男の違いはこういうところからはじまるのである。
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