この意味で、通勤時間は、一人の人間の人生態度を測定するバロメーターである。仕事本位であろうと、マイホーム型であろうと、このことに違いはない。要するに、時間の観念があるかどうか、ということであって、時間を平気で無駄遣いする人は、その分だけ仕事に力が入らないから、「仕事に成功することの難しい人」ということができる。
そうはいうけれども、社長業をやっている人で、鎌倉や葉山から東京に通勤している人もいるじゃないか、と反論する人があるだろう。使用者の側にまわると、出動時間を制限されないから、遠距離通勤が許されることも事実であるが、あえて弁解をすれば使用者にまわると、二十四時間勤務に変わり、仕事の内容が「考えること」や「決断すること」の分野に移って、社長室にいて執務するだけでなくなるということであろうか。
しかし、そういう地位にある人でも、自分で自分の事業を築きあげてきたような人は、会社のすぐ近くに居を定めることが多い。生前、リコーの創始者市村清さんの家に時々、遊びに行ったことがあるが、リコーの工場の前の通りをあがった小高い丘の上にあった。家の応接間の窓をひらくと、すぐ目の届くところに自分の会社の全景が見える。
工場の敷地の中に社長邸があるというほどではないけれども、秘書から「お客さまが見えましたよ」と連絡があってから、あわてて車に乗っても、一分とはかからない。
もとより会社が離れていたからといって、その分だけ距離ができてしまうわけではないが、仕事本位の人は、どうしても会社と至近距離に住まなければ気がすまないのであろう。
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