別荘のような距離に住むな
経営者になれば、途端に「働き人間」になり、人に使われている間は「怠け入間」でおられるわけのものではないだろう。
「怠け人間」は、大体、生まれつきであり、経営者の仲間入りをしても、できるだけ怠けたいと考えるものである。私の家には「働き人間」から「怠け人間」に至るまで、あらゆる種類の人間が出入りするが、その中にいつも私をつかまえては、
「僕がセンセイだったら、もう食っていくのには困らないのだから、働くのは一切やめて、毎日、カブキを見に行ったり、世界旅行をしてノンキに暮らしますがねえ」
と言っている青年がいた。二十年前はまだ若くて、風雅の趣があったが、二十年も同じことを言っているうちに、いつの間にか五十歳に手の届く年齢になってしまった。若い時も「怠け心」を持っていたが、五十歳になってもやはり「怠け心」に変わりはない。心は変わるというけれど、「怠け心」は不思議と変わらない。しかし、その割には、やるべきことはやってきたから、別に生活には困らない。困らないけれども、いつも「怠け心」を抱き続けているから、生活のはしばしで「怠け心」がひょいと顔を出す。
たとえば「職住近接がいいよ」と私が口を酸っぱくしていっても、「東京じゃとても庭つきの家は建てられないから、郊外に移ろう」といって、葉山に新しく家をたてた。
葉山まで高速道路ができたから、横浜から先は一時間もかからないで行ってしまうが、横浜までがいつも押せ押せだから、ちょっと混むと二時間や三時間はかかってしまう。三時間というと、台湾まで行ける距離だから、私は嫌だが本人にしても時間がかかって、大へんだろう。
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