不合格になりそうな人を狙って、入学案内のビラ撤きをし、勉強にきませんかと誘うと、ダイレクト・メールを送るよりはずっと歩留りがよい。いろいろ苦心して何とか学校経営がやれる見込みがついたが、月給払って事務員をやとうだけの余裕はないので「英語は出来るが日本語は不自由な」奥さんにも手伝ってもらうことになった。
毎日、自分たちの住んでいるマンションから教室まで通勤しなければならないが、夜が遅くなると、ついタクシーに乗るから、行き来の時間も交通費もバカにならない。しばらくすると、奥さんの方が、
「ね、マンションはひきはらって、学校に住みましょうよ」と言い出した。
「学校に住むって、どこに住むところがあるんだよ?」
「事務室があるじゃありませんか?」
「事務室だって、この事務室のどこにベッドがおけるんだ?」
「ソファがありますよ。ソファにねればいいですよ。どうせ皆が帰ったら、誰もいないじゃありませんか?」
この提案に誰よりもとびあがって驚いたのはご主人の方だった。いくら貧乏をしても、働くところと住むところは別々だという考え方が日本にはある。ましてアメリカ帰りであれば、それはもっと確固たる常識になる。
ところが、中国人にとってはお金のない時は、お金のかからないやり方をするのが常識なのだ。
「ラーメン屋をやっている人なんか、お客の帰ったあとの食卓の上にふとんを敷いてねていますよ。ソファの上にねられるだけまだいいじゃありませんか?」と奥さんは主張して、一歩もあとにひかなかったそうである。
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