その甲斐があって、米国留学の予備校をつくったその知人は、学生もふえ、教室も次から次へと拡大し、またアメリカから一流大学を出たアメリカ人の教師を迎えて立派な事業に築きあげたが、少し余裕があるようになってから、今度は自分たちのマンションを賃貸ではなく、購入して住むようになった。
「いや、あの時は本当に驚きましたよ。うちの女房がマンションをひき払って、事務室のソファで寝起きしようといい出した時は。貧乏させたのは、僕の方に責任があるのですが、中国人の女の人は本当に物凄いことを考えますね」
と且那の方が私に述懐したことがあるが、うちの女房も香港の人のせいか、その話をきいても、
「そんなこと当たり前ですよ」
と少しも驚かなかった。
いつだったか、文藝春秋の編集長だった池島信平さんが私のうちに食事にみえて、
「邱さん、邱さん、西洋館に住んで、中華料理を食べて、日本人の女房もらうのがオトコの理想だというけれど、おたくの奥さんの働きぶりを見ていると、中国人の女房の方がいいんじゃないですか?」
とお世辞をいわれたことがある。
自分ではそうは思っていなかったが、いわれてみれば、うちのの女房にしても貧しい家の出身というわけではない。女中さんが六人もいて、嫁入り前は台所に入ったこともなかった。が、嫁に来て自分が料理をしなければならなくなった途端に、甲斐甲斐しく働くようになったし、料埋人としての腕もたちまち一流にのしあがった。
そういう貧に臨んで強いのを見て、「僕も女房は中国人にしようか」と思うのは少し待っていただきたい。貧に臨んで強い女は、且那に対しても、負けずに強いですからね。
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