私の友人の中にも、一生、結婚をしなかった人が何人かいる。四十歳近くなると、さすがにどうしたものかと迷いに迷って、思いきって結婚しようかという気を起こす。妻子もないまま年をとって、寂しいと思うようになるのではないか、また病気になった時、看病してくれる人もいなかったら困るのではないか、と気迷いを起こす。しかし、世の中には女との性生活に耐えられないという男の人もあるし、同じような、女の人もいる。また異性はイヤじゃないが、「結婚」という制度に疑問を抱き、一人の女の人と長期にわたって生活をしていく自身のない男の人たちも結構たくさんいる。
家庭電化がすすみ、レストランやデパートで売っているお惣菜も豊富になると、男の一人暮らしは昔と違ってうんとラクである。うちの長男の結婚披露の席上で、目白三平こと中村武志さんがスピーチに立って、「何のために結婚をするかというと、キンピラゴボウや芋の煮っころがしをつくってもらうためで、あとは何でも外で間に合います」といって居並ぶ人々を笑わせたが、この頃はデパートに「おバアちゃんの味」という店も現われたから、もう不自由するものはなくなってしまった。とすると、結婚をする理由はほとんど皆無に近いから、それでも結婚をする人たちは、単に習慣に従って惰性で結婚しているにすぎないということになる。
もちろん、好きになったから一緒に暮らすのだという理由は依然として残っている。しかし、それだけしか理由がないのなら、好きでなくなったら、さっさと別れてもよいということになるし、またそもそも一緒になるだけなら、何も結婚しなくとも同棲をすればそれで間に合うじゃないかということにもなる。事実、そういう動きがアメリカではうんとふえたし、日本でもそれに近い動きが出てきた。「結婚」という制度は解体とまではいかなくとも、タガがかなりゆるんできたとみてよいだろう。
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