よく考えてみれば、これくらい不合理な社会制度もない。一流企業に就職しておけばよいだろうとか、友達が皆そうしたから自分もそうしてみたとか、誰が見ても立派な会社に就職したのはよいが、さて、自分で真剣になって考えてみたら、どうも就職先の選び方を間違えたらしいと気がつく。しかし、その時はもう「万事休す」では、どうにも承服できないと考える人も多いに違いない。
日本以外の国々では、こういう時はすぐにも職業を変えることができる。中途就職でも喜んで受け入れてくれるし、どちらかといえば経験者を歓迎する空気が強いから、腕に自信さえあれば、飯に困るようなことはまず起こらない。また今までと全く違った分野に転進して最初からスタートしたとしても、最初はサラリーが少ないとか、新米扱いをされたりするけれども、異端者扱いをされることはほとんどない。そういう意味ではアメリカや東南アジアの国々の方がまだ日本よりは合理的であるといえるが、その代わり、そういう社会制度のところではまたそれなりの弊害もたくさんある。
たとえば、途中から受け入れてくれるような社会は、大体が従業員の定着率の悪い社会である。一つの所に就職しても腰の落ち着かない人が多い。同じことだが、辞める人が多いということは従業員が企業内で大事にされていないということでもある。辞めるのもひきとめないが、雇い主の都合でクビになることも多いということである。従業員すら既製品で間に合わせているわけだから、すぐに間に合う代わりに、使い捨てにもされてしまう。
そういう社会に比べると、日本の社会は、人材も半製品を仕入れてきて、自分たちの社風にあった完成品に仕立てあげていくシステムなのである。したがって企業にとっては都合のよいシステムであるが、その間尺にあわない人間は、「途中下車、前途無効」を物ともしないくらいでなければ、とても自己主張を貫けないのである。
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