日本は実質上、「労働者の国」になった
この文章を書いた昭和三十一年からすでに四半世紀以上の歳月がたっている。今読みかえしてみると、私が当時のかなり過激的だった労働運動の行方を懸念したことがわかる。
ところが一〇〇円のランチが一〇〇〇円になるほど日本人が金持ちになると、労働組合の運動も「御用組合じゃないか」といわれるほど企業寄りになり、労働者がいつまでもテイン・エイジャアでないことを証拠立てるようになった。それもそのはず、日本の国では資本家と呼ばれる存在はいよいよ見られなくなったし、仮想敵に仕立てようにも、資本家とは熊に似た人相なのか、それとも象に似た人相なのか、それすら見当がつかなくなってしまったからである。
昭和二十九年は日本にとって戦後始まって以来の初めての曲り角であった。特需景気によって沸いた設備投資も一巡し、スターリンの死によって株価が急落し、ダウ平均も七百円までおちた。しかし、翌三十年の下半期になると、繊維産業の斜陽化を尻目に、日本の産業界は少しずつ恢復をはじめた。以降、三年間にわたって「神武景気」と呼ばれる「新しく生きる道」へと始動し始めたのである。
あれから約三十年たって改めてふりかえってみると、日本に工業化への道をひらき、日本人を金持ちにするきっかけをつくってくれたのは、第一に、日本が幸運にもソ連に統治されず、アメリカ軍の占領下におかれたことであり、第二に朝鮮動乱によって特需景気に沸いたことである。しかし、おそらく第三は、過激な労働運動をとおして、日本の国が実質上、「労働者の国」になってしまったことであろう。
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