しかし、日本人のつくる物は、世界に知られた一流品に比べれば、まだ安物の域を出なかった。「安かろう、悪かろう」が日本製品の定評であった。日本人のなかには、それを恥と思う人もあった。しかし、それは当然のことであり、最初からいきなり高級品がつくれるわけもない。それに安物というけれども、広い世界には欧米人のような金持ちの人ばかりいるわけではない。安物は安い値段でつくるのだから、どうしても粗悪であることは免れないけれども、安ければ買いたいという人がたくさんいる。そうした人を相手にすれば、結構、商売になるし、それを足がかりに物をつくることができれば、やがて品質を向上させることができるから、いいじゃないか、と私は主張したことがあった。このステップを日本人も一度は踏んだが、そのあとを台湾と韓国の産業界が踏んでいる。
日本人が「安かろう、悪かろう」の商品をつくっているあいだ、日本人はそれをどこに売ったかというと、日本人が売り先を自分たちで選択できたわけではなかった。お客のあるところにはどこにでも売った。しかし、日本人にとって最も幸運だったことは、アフリカやアジアの貧乏国よりも、アメリカという経済一等国の貧乏人に最もよく売れたことであった。
大衆的な商品は貧乏国にだけ売れるわけではない。アメリカのような金持ちの国にも貧乏人はたくさんいる。どの程度の貧乏人に狙いを定めるかという違いがあるだけである。最初のころは、一番貧乏な連中にしか相手にしてもらえなかった。スーパーでいえば、衣料品売り場ではなくて、安物ばかり並んでいる特価品売り場に顔を出すのがやっとだった。
しかし、このことは必ずしも悪いことではない。ともかく、それはアメリカのスーパーやデパートの一角に橋頭堡を築いたことにはなる。製品を売るチャンスができて、人の目にふれるようになれば、物がよくなったときは、お客もそのことに気づいてくれる。最初は繊維や雑貨から始まったけれど、やがてそれがカメラ、電卓、腕時計、さらにはテレビ、ビデオ、自動車と増えてゆけば、貧乏人相手といっても、貧乏人のグレードが違ってくる。底辺はいっそうの広がりを見せるようになる。
日本製品は、今日のように世界中に売れるようになっても、それぞれの商品で超一流品、最高級品というものはあまりない。中級品、もしくは、その上、せいぜいが甲の下といったランクであろうか。つまり日本製品の世界制覇が成功したのは、日本人がアメリカの貧乏人に目標を定めたからである。また目標になった貧乏人たちが喜んでメイド・イン・ジャパンを受け入れてくれたからである。アメリカの消費者にとっては、リーズナブルな価格と品質が問題になるだけで、それがどこでつくられたかといった国境のこだわりなどはほとんどなかったのである。
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