一億人の国内市場は輸出産業のための絶好の練兵場
国内市場で新製品輸出のための市場調査ができた
お客として貧乏人ほど大事なお客はない。金持ちは世間から鄭重な扱いを受けるが、お客としては大したお客ではない。金持ちは全体としての数が少ないし、どうしてお金持ちになったか考えてみると、ケチケチしてお金を使わなかったから、金持ちになった人々である。
その点、貧乏人は、貧という字を見てもわかるように、貝(お金のこと)を分けて気前よくパッパッと使ってしまうから、いつまでも貧乏をしているのである。大きな商売はすべて貧乏人を相手にして成り立っている。一人一人の払える金額は大したものではないが、何せ数が多いから、全部集めると、大きな金額になる。これが大衆相手の商売である。
ただし、同じ貧乏人でも金持ち国の貧乏人と、貧乏国の貧乏人では、懐に入っているお金がまるで違う。貧乏国の貧乏人は、一人あたりのGNPが年に二〇〇ドルとか、三〇〇ドルしかないから、五億人いようと、一〇億人いようと、支払える金額は知れている。オートバイやテレビどころか、自転車やラジオを買うことすらなかなかできないだろう。それに比べると、一人あたりのGNPが一万ドルとか、一万五〇〇〇ドルとかいった金持ち国にいくと、貧乏人でも家にテレビやビデオを持っているし、外出するときは自家用車を運転している。日本人が狙いを定めたのは、アメリカという経済一等国の二億人をこえる貧乏人の市場であり、日本人が工業的に大成功をおさめたのも、「豊かな国の貧乏人」に売り込むことに成功したからである。
では、どうして日本人はアメリカ向けに大衆商品を売り込むことに成功したのだろうか。
そのためには、アメリカ人の欲しがる物は何かという市場調査も必要だし、それだけの品質を備えた商品をつくり出す技術力も要求される。日本人がどうやってそういう商品能力を備えるようになったかというと、新製品をつくるとまず国内市場でテストをし、大丈夫と見当がついてから輸出をするようにしたからである。
日本の人口は終戦当時は九〇〇〇万人であったが、現在では一億二〇〇〇万人にも達している。九〇〇〇万人の人口だった当時は、狭い四つの島に九〇〇〇万人の過剰人口が溢れ、資源も資本もなく、食糧も不足し、働く場所もないといわれたが、一億二〇〇〇万人に達したころには、仕事がいくらでもあるようになり、逆に労働者が仕事の選り好みをするので、労働力不足に悩むようにさえなった。
その一方で、工業の生産性が高まり、供給が需要をカバーしてありあまるようになったので、工業人口は減少する方向に向っている。約四十年たつあいだに日本の工業は爛熟期に入り、世界にライバルを見つけるのが困難なほど高い水準に達してしまったのである。
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