第二章 繁栄の構造は借金コンクリート
       借金コンクリートの上に築かれた日本経営

三十年前の日本人の働きぶりに将来の体質が見えた
昭和二十九年、私が小説家を志して香港から東京へ舞い戻ってきたころ、日本人の大半は日本は貧乏国で、自分たちは貧乏国のその日暮らしの貧乏人だと思い込んでいた。だから昭和三十一年に私が『文藝春秋』に日本天国論」を書き、翌々年、中央公論社から同じ題名の単行本を出したときは、口の悪いので評判の大宅壮一さんだけが、「いまだかつて日本人によっても、日本に来た外国人によってもこれだけユ二ークな日本論が書かれたためしがない」と褒めてくれたが、ほとんど世間の注日を浴びなかった。中国文学者で、慶応大学の教授であった奥野信太郎氏は、私の顔を見るなり「私はあれをパラドックスとして読みましたよ」と言ったほどだった。逆もまた真なり、で、私がわざと反対側から日本人の貧乏ぶりをからかっているのだと受け取られたらしい。
世の中の現象を、まだ視界に入ってこない時点で予言することは確かにきわめて難しい。
想像という字を見てもわかるように、像というのは象という動物からきた。多分、中国にも昔は象という動物が棲息していたのであろう。しかし、漢字ができるころには、もはや実物が見られなくなっていた。そこで人々は、昔からの言い伝えをもとにして、「象とはこんなものだった」「いや、そうじゃない。こういう形をしていたはずだ」とあれこれ想いをめぐらした。想像とは、そういうところから生れてきた言葉だそうである。

実物を見たことのない者が、「ああでもない」「こうでもない」と想いめぐらすのだから、当然、意見はあれこれ分れる。景気とか、株価のような、やがて結果の出てくるものについては、あまり突拍子もないことを言うと、問違ったときに笑われるから、人々はどうしても慎重になる。反対に、考古学的な学説や、「写楽はどういう人物だったか」といった議論は、今後も深い霧に包まれているだろうから、かなり大胆な異説を唱えても、恥をかかないですむ。そこで過去のことについては、推理小説もどきの思い切った憶測が行われるが、将来のことはやがて事実として答えが出るので、人々はとかく臆病になる。姿の見えないあいだは意見を控え、姿が視界に入ってきてから、さも昔からそう思っていたようなことを言うことが多いのである。
私は過去のことについても興味をもっているし、歴史書を読むことも多い。しかし、どちらかといえば、過去のことよりは未来のことにより多くの関心をもっており、未来について「盲人、巨象を撫でる」ような思いをしている。とはいっても、何の手がかりもなしに想像するわけではなく、昨日と今日、今日と明日の継ぎ目を見て、未来を占う。経済社会は真空を嫌うので、風景にたとえれば、海からいきなり断崖絶壁になるより、砂浜があり、畑があり、田圃がそれに続きといったことが多い。だから、見えている限りの光景を継ぎ目を丹念に拾っていくと、まだ見えてはないが、やがて見えてくるであろう光景があるていど想像できる。

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