たとえば、日本の漁業に従事している人たちは、今でも魚は海に泳いでいてとりにいくのに費用がかかるだけで、魚そのものはタダと思っているから、各国の領海から締め出されると、世の中がだんだん住みづらくなると悲嘆にくれ、政治の無力に悲憤を感じている。しかし、よく考えてみれば、魚よりも、魚の加工をしたほうがずっと付加価値が上がるのだから、魚は自分でとらずに、それぞれの国の人にとらせて、石油を買うように、魚を買えばよいのである。スケソウダラは輸入をして、カニモドキを輸出したほうが、日本人の懐はずっと豊かになるのである。
日本人はこの四十年問、こうした原料を仕入れて加工して、もっと高い付加価値のある商品に仕立てて売る商売に従事して、その差益を稼いできた。「金がない、金がない、借金だらけだ」とぼやき続けてきたが、気がついてみたら、いつの問にか、お金が溜まり、全世界の大統領や首相がお金を借りるために東京へ通うようになっていた。
資本は、昔からあるものではなくて、つくるものである。お金の溜まるスキマがあって、そこにお金が溜まりはじめると、あっという問に、資本ができてしまうのである。付加価値をつくる才能を身につけたので、日本および日本人のところへどんどんお金が集まるようになってきた。お金の動きが今までと違ってきたので、お金の流れも変わってくるし、世界の地図も違ったものになる。日本人がやってきたことと、これからやるだろうことは、日本人が考えているよりずっとスリルのあることである。世界中の人々が固唾をのんで見守るだけの値打ちのあることなのである。
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