真似をしてきた日本がいつの問にか独自の水準を築きあげてしまった
そんな具合だから、日本人は工業化の初期には、徹底的にアメリカの真似をした。パテントにひっかかりそうなものはパテントを買ったし、交渉をしても売ってもらえないものは、訴えられるのを承知でコピーをしたし、パテントを避けて同じ目的が達せられそうなものは、自分たちで新しい抜け道を考えた。さしずめデザインのような外見をすぐコビーできる商品は、そっくりコピーをした。だから、ある時期のメイド・イン・ジャパンはアメりカ人やヨーロッパ人に評判が悪く、日本人はデザイン・ドロボーだと盛んに非難の対象にされたものである。
しかし、よく考えてみると、先輩が自分たちの前に立ちはだかっているときは、その長所をいち早くマスターする以外に、その先輩に追いつく方法はない。その代り、一旦、その長所をマスターしてしまえば、もはや真似するものがなくなってしまうから、あとは自分で創意エ夫するよりほかなくなる。
日本の工業デザインも、日本人自身がその方面に力を人れるようになり、専門の学校をつくって人材の教育をした成果が出てきたこともあるが、いつまでもヨーロッパやアメリカの後塵を拝することはなくなった。メイド・イン・ジャパンの品質が評判になるころには、デザインも、品質にふさわしいユニークなものになり、物によってはヨーロッパ人のほうが逆に日本のデザインを盗用するようにもなった。パテントの侵害で訴えられるのは、コンピュータのソフトに関する技術くらいなものになり、あとはすべて販売競争に負けた国々からの嫉妬まじりのもめ事ばかりになってしまった。それも、負けた側の言いがかりに属する訴えだから、人の真似をすると非難されている日本人がいつの間にか、独自の水準と境地を築きあげてしまったことがわかる。
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