会社の利益を優先させる見事なチーム・ワーク


日本の会社は一種の精神団体である
エ業化を推准するにあたって、日本人の特徴となったことの一つは、集団で事にあたるシステムであろう。
日本人の一人一人は、ドイツ人とよく似ていて、没個性的であるといわれている。ドイツ人は制服がよく似合うから、ナチのような強烈な風潮にであうと、着ている服を皆、ナチの制服に変えさせられてしまった。それと同じように、軍国主義が主流を占めるようになると、日本人は皆、軍国主義に靡き、軍人たちがわが世の春を謳うようになった。こうした国民性をもった国の人々は、一歩誤ると、軍人にいいようにされてしまうが、もともとは集団行動を得意とするので、それが経済活動とか団体スポーツのような方向に向うと、予想以上の実績をあげることができる。敗戦後、一転して工業生産に専念するようになった西ドイツと日本が抜群の実績をあげ、ドルの稼ぎ頭を争う立場に立ったのは、決して偶然ではないのである。
戦後、日本の工業生産の母体になったのは「会社」であるが、「会社」の原型にあたるものを歴史上に見出すことはさほど困難ではない。税務対策の関係で、戦後は個人商店まで大半が株式会社、もしくは有限会社になってしまったので、「会社」以外の営利組織を見つけるのが難しいくらいだが、戦前の「会社」と言えば、三井とか、三菱とか、あるいは、そうした財閥の資本系列にあたる日立とか、東芝とか、キリンビールとか、日清紡、東洋紡といったレッキとした大会社のことであった。近代資本主義の導入された明治維新当初、その数はもっと少なく、会社員であることだけでエリートとして通用した。なぜならば、会社員の報酬は月ぎめで支払われ、他の労働者が日給、もしくは出来高で支払われていたのに比べると、人格が認められ、別格の扱いを受けていたからである。そればかりでなく、会社そのものの組織が営利団体であるにもかかわらず、組織としては徳川幕府に対する藩とよく似た存在であった。会社のなかには、政府に近い筋によって組織されたものもあれば、政府の役人をもらい受けて補強されたものもあれば、そもそも廃藩置県で野に下った旧藩士たちによって新しく組織された「士家の商法」による殖産事業もあった。いずれも多くの人を擁し、それらの人々を食べさせていくのが利益の追求に優先していたし、また封建時代の伝統を踏襲したので、上下の差や命令系統が最初からはっきりしていた。つまり日本の会社は、利益追求を目的とした営利組織であるけれども、それはドイツ風にいえば、ゲゼルシャフトではなくて、ゲマインシャフトであり、一種の精神団体なのである。
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