豊かになれば、借金と財テクが盛んになる
東京の街を歩いていると、高層ビルが所狭しと聳えている。はじめて日本へやってきた欧米人は、自分たちが想像していたよりずっとヨーロピアナイズされた大都市を発見して、驚きと失望の情を半分ずつ抱く。驚きとは、ヨーロッパやアメリカのような近代化の方向にありながら、しかもヨーロッパやアメリカより活気を呈していることである。失望とは、もう少しオリエンタルなものを期待していたのに、これではあまり変りがないじゃないか、というはぐらかされた気持ちである。
もちろん、それは外観だけのことで、このあいだまで木造の平屋か、せいぜい二階建てだった東京の街が、短期間に高層ビルで埋まってしまったのには、それなりの秘密がある。まず建物は、鉄筋あるいは鉄骨のコンクリート造りであっても、ほとんどすべてが借金コンクリートによってできあがっていることである。産業界が世界一の水準になって工場も新しいのがドンドン建っているようだが、先に述べたように、これらすべての資金は、およそ八○%までが借入金によって賄われている。工場もビルも、本質的には同じ構造なのである。
ではこれらの資金はだれから借り入れたものなのだろうか。国全体が資本不足に悩んでいたときはアメリカからの援助や借款にたよった部分もあった。しかし、お金の不足がちの時代でも、日本の企業は銀行からの借り入れが大半であった。銀行は庶民からお金を預かり、そのお金を企業に貸す。たまには銀行の持っている信用を利用して、一時、立て替えの形で支払いを待たせ、先に物を手に入れる手段を講ずることもある。しかし、そうしたやりくりのすべてを含めて、結局、日本人は自分たちの必要とする資金を自分たちの節約したお金のなかから捻出して運営したことに間違いはないのである。
もしそうだとしたら、資本はなくても、節約さえすれば、捻出することができるし、捻出した資本を回転させて富をつくり出すこともできる。最初はわずかの金であっても、富の創造さえできれば、そのなかから以前よりいくらか多くの貯蓄ができるようになるし、その貯蓄を資本にまわすことによってさらに大きな富をつくり出すこともできる。日本人は工業生産に従事している過程で、主としてアメリカを顧客にし、アメリカに物を売って工場の拡張をすることができたが、アメリカからお金を恵んでもらったわけでもなければ、アメリカ人からお金を剥ぎとったわけでもない。自分たちがつくり出した商品を売って、それに新しく付け加えられた付加価値が日本人を豊かにしただけのことである。
なるほど繊維製品でも、自動車でも、またテレビやビデオでも、アメリカ人が買ってくれなければ、日本人はお金をもらえなかったし、従業員に労賃を払ったり、借りたお金の元利の返済をしたり、また工場を次々と拡張していくこともできなかった。しかし、アメリカ人からもらったお金は、お金のまましまい込んでしまうものではなくて、アメリカだけとは限らないが、世界中から原料や生産設備や食糧や、要するに日本人が必要とするものを購入するために使われた。つまり物と物とを交換する過程で、より付加価値のある物をつくり、またより人の欲しがる物をつくって、相手に渡せば、より有利な交換ができたというだけのことである。
日本人は安い原料を外国から仕入れてきて、人の欲しがる物を安い値段でつくり、高い値段で外国に売れるようになったので、たとえば、わずかの工業製品を売って、もっと多くの材料や原料や設備投資を仕入れることができるようになった。年間の生産物のうち、国内で消費されてしまうものは再生産過程から消えてしまうが、投資に使われる部分は、節約して貯蓄した部分から支払われる。この部分は、国民の年間の節約したお金の大きさに依存しているが、付加価値の創造がふえればふえるほど、当然ふえてくる。
最初のころは、「貧乏だ、貧乏だ」、「金がない、金がない」とぼやいてばかりいたのが、知らず知らずのうちに国民の貯蓄もふえ、企業の内部留保もふえて、日本は資本の豊かな金持ちの国になってしまった。日本の国が蓄積した資本は、どこの国からもらったものでもないのだから、日本人自身がつくり出したものであることは疑いの余地もない。
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