第三に、しよっちゅう人が代っていたのでは、責任の所在がわからなくなってしまう。クレームの処理もできないし、販売と生産の連絡が悪くなって、消費者のニーズがどういうものであるか、生産の現場まで届かなくなる。普通、アメリカとかヨーロッパでは、経営者が自社商品に対する評判をどこからかきいてきて、知り得た情報の範囲内で消費者の声に対応し、クレームの処理をする。ところが日本だと、販売の第一線で耳にしたクレームは、すぐ工場に持ち込まれ、生産の担当責任者の耳に届く。欠陥があれば、すぐにも改善が行われるし、自分たちで処理できないことになると工場長まで話が持ち込まれて、上部の決裁を仰ぐことになる。社内がファクトリーの延長のような雰囲気だから、上下のパイプの通りがよく、下から上へ情報があがるチャンスも多い。その点、アメリカのように手足は頭の命令に従うだけということになると、消費者のニーズを反映することは難しい。
第四に、生産工程での上下のみならず、横の連絡もよい。アメリカの工場を見ていると、自分の守備範囲ではきちんとやっているが、「マインド・ユア・オウン・ビジネス」(よけいなお節介だ)と言ったりするように、隣りのやっていることには見て見ぬふりをする。隣りの工程で、ネジの締め方が悪くても、自分にはかかわりのないことだから黙っているのが米国式だが、できあがってきた製品の評判がおちれば、会社の業績は下がるし、めぐりめぐって自分たちのボーナスにも響いてくる。アメリカに進出した日本企業が現地採用した中堅幹部たちを日本にある本社工場に研修によこす場合、最も重点をおいているのは、こうした横の連絡をよくすることである。同僚のしでかした失敗も自分の責任といった意識は、個人主義の徹底した国ではなかなか理解してもらえないが、日本人には他国ではちょっと考えられないような企業への帰属意識があるから、そういう面で、先輩諸国よりはるかに秀でたところがある。
以上述べたアメリカの産業界の欠点をちょうど裏がえしにしたのが日本の産業界の長所であり、それを動かしているのはほかならぬ「人」である。日本人にとってはごく当り前のこ
とであっても、外国人はなかなか納得できない。それが製品のうえに表れてメイド・イン・ジャパンが世界を制覇するようになると、「なぜだ?」と驚いて、その理由を追求するようになった。西洋人も自分たちの合理主義では割り切れない部分がたくさんあることにやっと気づいてきたところである。
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