親分と子分、親会社と子会社、どれもみな親子の延長


日本の雇用は、もともと家族の延長線上に築かれた
西洋人は自分たちに理解できないことが起ると、「神秘」という言葉で片づけてしまう。でなければ、システムの違いで割り切ってしまおうとする。日本人が会社の名誉もしくは利益のために自殺をしたりするのは「神秘」というよりほかないし、組織のうえでアメリカやヨーロッパの会社と日本の会社に大きな違いがあるとすれば、それは欧米になくて、日本にだけある終身雇用制とか、年功序列給にあるに違いないと思い込んでしまう。外国人から見ると、これらの制度は日本に固有のものであり、利害関係で人を釣り、人を縛りつけているように解釈できる。しかし、日本人に言わせると、これらの制度はいずれも戦後、日本を占領統治したアメリカ軍の置き土産であり、戦後、新しく制定した労働法が労働者の解雇を著しく困難にしたせいだそうである。もともと日本の雇用は、「親分」「子分」という言葉からもわかるように、家族の延長線上に築かれたものであった。領主と家来、地主と小作人、大家と店子、親方と弟子の関係はいずれも上下がはっきりしていて、個人と個人の横のつながりではない。一人一人が独立していて、自己主張があって、そうした個人が雇い主に雇われてお金をもらっているだけという関係ではない。当然、家族的な紐帯が強く、集団意識が強くなる。
しかし、血縁関係にない者までそういう関係になれるのは、そうでもしなければ、メシにありつけないきびしい環境にあったからと考えるべきであろう。したがって、給与は親方によって一方的にきめられたし、クビを切るか切らないかも、上にいる者の意のままであった。農業社会では、年間の収穫はほぼ一定だったし、それを皆で分けなければならなかったから、分け前も何百年ものあいだずっときまっていた。五百石なら五百石、十人扶持なら十人扶持という俸禄を親子で相続したが、それは固定給与であって、年功序列給とはほど遠かったのである。
そうした伝統の国に、終戦直後、占領軍からクビの切れない労働法が持ち込まれた。多くの人々を使って工業生産に従事するためには、いよいよもって落ちこぼれがでないように集団で行動するよりほかなくなる。クビが切れないのだから、年をとってもやめさせることはできない。また働き盛りも、新米も、封建時代と同じ一定の給与では、能力のある者がバカらしくなってやめてしまう。年輪を重ねれば、それだけ能力が向上するわけではないが、子供も成長するし、家族の生活に要する費用もその分だけふえる。そうした必要を充たしてあげなければ、落ち着いて働いてくれないし、また上に立って働く者と下につく者との給与にある程度の差をつけなければ、社内の秩序が保てない。下から上へ上へと押し上げていくシステムになっておれば、自然に年功序列給ができあがってしまうのである。
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