社長の地位は神輿の上のご神体
しかし、さきにも述べたとおり、終身雇用制や年功序列給の存在が人々を会社に引き止め、会社に対する帰属意識を強化したと考えるのは、主客を転倒したものであろう。むしろ反対に、チームを組んで仕事をする社会的伝統が昔から存在していて、それが終身雇用制や年功序列給を定着させたのだから、他の国々が日本の工業的成功を見て、日本に倣い、これらの制度を取り入れたら、はたしてうまくいくかということになると、未知数の部分が多いと言ってよいであろう。
アメリカでも、最近では「日本に学べ」を実地でいっている企業があるときいているし、私の生れた台湾でも、人手不足を克服するために、従業員がやめないような手をあれこれ考えるようになった。そのなかには日本の制度にならって退職金制度や、年功序列給も含まれている。しかし、その程度のことで独立心の旺盛な中国人を、会社に引き止めておくことは必ずしも容易なことではない。
中国人は企業を家族会社として運用する伝統的な風習があり、使用人が社長や重役になる道は固くとざされている。したがってある程度仕事を覚えてしまえば、幹部級のスタッフでも、もっとよいチャンスがあればすぐにも独立するなり他の会社に移ってしまう。したがって企業は家族会社のスケールにとどまるか、でなければ、高度の技術スタッフをもっていなくとも何とか動いていくような業種の大企業に成長するくらいしか道は残されていない。それでは到底やっていけそうもない業種とか、質的改善を不断に要求される業種で成功しようと思えば、社内の雇用システムだけでなく、企業を家族の所有から社会的な存在へ一変させるだけの思い切った発想転換が必要であろう。企業の大株主であるか、大株主の支持を得ている人でなければ、経営の責任者になれないような東南アジアの華僑社会で、従業員に日本人と似たような帰属意識をもたせることはどだい無理だと言ってよいのである。
逆にいえば、日本の企業が他にすぐれているのは、従業員の一人一人に帰属意識と愛社精神があり、個々の智恵と力を結集して、会社のために貢献することを惜しまない点であろう。会社は社員の生活共同体であって、社長といえどもそれを私物視することはできない。たとえ会社が社長の創立したものであり、現に社長が大株主として名実ともにオーナーであっても、ある程度企業のスケールが大きくなれば、結果は同じことになる。ひとたびそうした風潮が社会的に定着してしまうと、今度は反対にオーナーでも何でもない人が、会社の運用を任せるにふさわしい人と認められるようになれば、オーナーと同じように振る舞うことができる。
日本の大半の大企業の社長は、会社のスケールから見て資本金の一%の株すら所有していないが、それでもちゃんと社長をつとめていられる。オーナーでも何でもないこうした経営者のなかには、権力の座についた途端にオーナーのごとく振る舞って会社を私物視する者もたまにはあり、ときどき社会問題になったりしているが、一般的に言って、内閣がかわるように社長や重役がかわり、澱みのない水のように社内を清め、うまく時代に対応していけるという点では、日本のシステムの右に出るものはないのではないだろうか。
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